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陸路で国境越え


         2004 3/20 - 8/12

 4ヶ月もこの国にいる事になりました、これだ
け国土が広いと国の中にいろんな自然、民族、食べ物、文化があって楽しかった。日本のこんな近くにこんないい国があるのに、もう自然のために遠くまで行く必要は無いかも、この国ですんでしまう。

まあ中国は僕の希望を裏切らない変で怖くてわけのわからない国だった。




昆明→大理→麗江→虎跳峡→香格里拉→徳欽→昆明→広州→深せん→香港→昆明→香格里拉→郷城→理塘

→康定→成都→マルカム→ウォールガイ→朗木寺→夏河→西寧→ゴルムド→ラサ→シガツェ→ギャンツェ→

ラツェ→アリ→タルチェン→マナサロワール湖→プラン→ナムル→ツァンダ→アリ→イエチョン→カシュガル→

ウルムチ→トルファン→ハミ→敦煌→嘉峪関→蘭州→四安→青島
わけの分からない国 中国
  入国する前の僕のこの国のイメージは赤、竜、毛沢東、自転車、中華料理、チャイナドレス、・・僕の記憶にもある天安門事件、チベットやウイグルなどを侵略し、人権無視の恐ろしい国。正直こんな感じだろうか、とにかく怖いというイメージが強かった。入国してすぐに宿でテレビをつけると日本兵が中国人を銃剣で刺していた・・おおやるなこの国、期待を裏切らない気がした。 この国を旅して分かったのだが、中国人はカンフーができる人はほとんどいなくて、バスの中でごみをぽんぽん捨てて、自転車がたくさん走っているのではなくて最近は電動バイクが走っている。そして入国の際エロ本やエロビデオが無いか熱心に調べられるのに、恐ろしい数の売春婦や置屋があること。飯が安くてうまい事、どんな美人もノースリーブなのに脇毛がフサフサだということ・・・・面白い!面白すぎるぞ!!中国
英語ワカラナイ
  中国人はほとんどの人が英語が分からない、YES、NO,HELLOすら理解できない・・国の名のごとく世界の中心は中国であり、なぜに他の国の言葉を覚える必要があるのか?と言わんばかりにしゃべれない。僕等日本人は漢字というコミュニケーション手段があるからいいけど、欧米人にしてみれば試練の多い旅のしにくい国なのである。
うまく行く
  リエンのおうちから国境に向かい中国側に入国したら、そこに中国に留学経験のある中国語ぺらぺらの旅人がいて、僕の英語通じないからどうしようと心配するひまも無く、その人と行動する事になった、うまく物事が進んでる・・ただ中国語を話せるようにならないと、のちのち大変だ。
売春婦
  どこの国にも売春婦という人たちはいる、僕は女性を買ったりしないのだが、この国の売春婦の多さにほ入国してすぐにびっくりした、不謹慎な発言だけど少し前に日本人の社員旅行で集団買春が行われた事件があって、その人数の多さに驚いた事があったけどこの国ならそれは可能だ。
 しかし、600円くらいで女の人を買うなんて・・・安い気がする。だから、これだけのために日本から男達がわんさと来るんだなー
中国のトイレ
  中国のトイレは床に穴が開いているか長い溝のある所が多い、一応水洗式のところもあって水の流れにのって前に座っている人たちのう○こがひゅーと股の間をすり抜けていく。また、あるホテルのトイレは窓が大きく開放的でいいのだが、向かいのビルから丸見えというところもあった。
 田舎のトイレなんかは溝が掘ってあってその上に木の板が足の置き場として置かれている、たまに腐っていたりするとそのまま下に落ちてしまう、実際にバスで移動中トイレ休憩で隣の女トイレの方で大きな音がして誰かが落ちたのを聞いた事がある。初めは恥ずかしいのだけどみんなでお尻を丸出しで用をたしていると、だんだん慣れてきて、隣の人と話したりできるようになるから不思議だ。
 もう一つある面白い点というと、小額のお金を払うということ、デパートに行っても、おばさんが入り口なんかで座ってお金を回収している。日本や韓国もオリンピック後にその制度が無くなったから、もしかしたら北京オリンピックを境に廃止になるかもしれないな。
中国のディスコ
  ベトナムから中国に入って思ったのは、ハンサムや美人がいないということ、大抵どこの国でも道を歩けば必ずそういう人たちを見かけるのだが、中国にはいなかった。でも国土が広いので場所を変わると急に美人が増えたりする。
 中国では大衆の娯楽もあんまり無いんだろうなと思っていると、昆明でディスコに行く事ができた、中国とベトナムの国境で会い一緒に行動するようになった日本人は昆明に留学していて、遊びまくっていた人だった。昆明には昆都という日本でいう渋谷のような若者の集まる場所があり、ディスコが軒を並べている、なんだか中国のイメージとはかけ離れた世界だった、客引きの女の子達はきわどい服を着て、お客を呼び込んでいる。そこにその人の恋人が働いているという、別な店に行った後そのディスコの前を通ると、留学していた時によく遊んでいた日本人の若者と再会し、元カノが働いているディスコに入った。中は大きな音で銃低音が鳴り響きダンサーが踊っている。中国人たちも踊っているのだが、ダサいのだ・・ しかし、そこに集まっている人たちを見ると男はそうでもないが、女性はかなりの美人やかわいい人が多ことに気がついた、こういう場所に隠れていたのかと勝手に納得しながら、日本人達とDJ、元彼女達とウイスキーをがんがん飲みまくったのでした。こういう場所はお酒もまーまーの値段がするからお金持ちしか来れないみたいだった。
食の国中国
  中国に入るとご飯がおいしくて、安く量が多い事に驚いた、メニューも豊富で麺類も豊富で餃子や包子などもある。自分で新鮮な食材を選んで調理方法まで指定する事もできる。ビールも安いし本当食べる事に関しては大満足だ。麺類を頼むと面を打つところから始める、コシがあって本当においしい。必ず太ってしまう。


この面ももちろんその場で打ってくれた。値段は40円くらい

種類もたくさんある
やっぱり導かれてる?
  雲南省の昆明のあと大理に行き次に麗江と定番の観光地を楽しんでいた。ただこのあと中国ビザが2週間しかないので、とりあえず麗江で1ヶ月のビザを取得し少しの間の時間を稼いだあとにこのあとの予定について考えていた。中国は広いから長期のビザが必要で、ベトナムで中国のビザは中国に入国してから取れると言われていたがそれはこの1ヶ月のみでこれでは回りきれない。でも急いでラサまで行けばぎりぎりでネパールへ抜けられるのではないか・・そんな事を考えていたが、もう一つのプランとして香港に行き長期のビザを取得後じっくり中国を観光する。ただこの2つ目には大きな障害がありそれは言葉だった、英語がまったく通じないこの国の人とうまくコミュニケーションを取るのが難しく、かつ一般の中国人たちの事がうまくつかめていなくて少し苦戦していた。ただ運がいい事にここまで中国語の話せる日本人達に会ったりして話せないくせに何とか面白い経験が出来ていた。その人と別れて、大理、麗江と英語が通じる環境にいたが、この後は自力で何とかしなくてはいけない。よく考えてみると中国に入るまでは現地の人間達と現地の言葉なんかを話して覚えてたが、中国に入っていきなり昆明のような都市に来て僕流の現地人に言葉を教えてもらう覚え方が難しくて、なかなか学習が進んでなかったと思うし、他の国と比べた時の中国人のせわしなさが駄目だったのかもしれない。
 大理と麗江は雲南省を代表する観光地だ、昔ここには大理国というのがあったが元の襲来で滅亡した。観光地であるがとても落ち着いたのんびりするにはいいところだ。麗江で宿泊した宿で夕食を宿泊客達と一緒に食べるというシステムがあって僕はそれを利用していた。その時僕ともう一人日本人、韓国人の男女のペアの4人がいつも一緒に食べるように振り分けられていた。韓国人の男の方はユンフンという大学生で徴兵の前に最後の息抜きに旅に出たらしい、女の方はミンス―といい中国に留学していて休みの間中国を旅して回っているという2人。僕等4人は何日か夕食を食べていると仲良くなり酒盛りをするようになった、韓国人はゲームが大好きで酒のイッキ飲みのゲームを始めたりするが、バカじゃないかと思うくらい酒を買ってきてするもんだから、いっしょにいた日本人の男性は吐きながらゲームをしていた。
 そうやって何日かいるうちに韓国人2人は虎跳峡に行くのだが行くかと誘ってくれるようになりはじめ結局彼等と行動をすることになった。韓国人たちは本当に変な奴が多かったけどこの2人も例外ではなく変だった、ミンス―は自分で山などの自然が綺麗なところが好きと言いながら高所恐怖症で山からの風景を楽しめてない・・・・意味があるのか?ユンフンの方もニワトリを見ると気が狂ったようにおびえだす。楽しいがわけが分からない変な奴等だ。
 彼等といる事のメリットはミンス―の中国語だった、値段交渉からいろんな穴場情報までいろいろとその威力を実体験していた。韓国人は日本人のように値段交渉なんかで妥協をほとんどしないのでビックリするくらい安くなったりした。
 このあとトレッキングした後シャングリラに行き、ユンフンは香港に戻り北京の方に行くと言う。ミンス―は徳欽と言うところに行き梅里雪山という山を見に行くという。その時四川チベットを抜けるルートを考えていなかったので、もしこのチャンスを逃すと一人では来ないだろう、徳欽からなら大理までの寝台バスがあるので急いでユンフンを追いかければ一緒に香港に行けると考えミンス―と一緒に行きその後ユンフンを追いかける計画にした。
 ミンス―は旅を1人でするのが好きらしくユンフンは自分からミンス―についてきたと言っていた、彼女の今後の旅の計画を聞いてビックリした、本来は徳欽から陸路でラサを目指す予定だったが、車が捕まらず四川チベットエリアを抜けラサに入りもしかすると西チベットに行くというルートに変更したと言う。僕がムリだとと考えていたルートだった。
 一緒に連れて行ってくれたらいいのにと思ったが、僕はビザの日にちが足りないのでどちらにしても香港に行かなければならない、彼女は学生なのでビザではなくて居留証があるので時間の心配は無い。ムリだ。。それが僕の考えだった。
 僕が香港に向かうためミンス―と最後の話をしていた時にミンス―がつたない英語で私と一緒に来るか?と聞いてきたのだ。願ってもいない申し出だが、僕は香港に行かなければビザの時間が無いので無理だと言うと、それなら待っていてあげるから戻って来いというでは無いか、この時だった直勘だけどまた誰かが導いている!と思った。この段階まで僕が困ると思っていたはずの中国語で困ってもなかったし、何もしていないのに道が開けるのだ・・・不思議な事は続くのだ。
 なんで僕を選んだの?今までパートナーを持たない主義だったんでしょ?と聞くとまたであるがミンスーの口からこの言葉が出た「君は何か変わってる、それが何なのかは分からないけど君の行動を見てみたい。」と言われた、これだけを聞くとストーカーかと思うが、この言葉は散々聞いたけどこの言葉が出たときはなんだか導かれていたときだから素直に従うべきだと思いミンス―の誘いにのることにした。

 こうしてお互いの利害が一致した、僕はチベットを抜ける時のボディーガード、ミンス―は僕の通訳とナビゲーターとなった、契約成立である。
旅をはじめたらモテモテ?
   僕はこの旅に出てから女の人によくパートナーとして選ばれたり、現地の女の子からも気に入ってもらえたりして人生でこんなに女性の方から声をかけられた事が無いと言うくらい声をかけられる。ただこの理由がカッコイイからという理由ならとうとう春がきたかと思うのだが、大抵の理由はなんだか変わっていてやさしそうという理由だ。要は危険そうじゃないというのが大きな理由らしいが。だからカンボジアやベトナムでも日本人の男の集りの中で俺だけになんだか警戒なく接してくれたりするもんだから、日本人達からプレーボーイだとか言われてからかわれていた。
 僕が女の中で育ったからか?なんだかモテモテなのではあるが、なんとなく実家にいる去勢された2匹の猫と同じ気持ちがするのは気のせいだろうか?もしかして僕も気がつかない間に去勢されているのか?
 まあ去勢をされているのかもしれないけど、結果として女性が心を許してくれると、周りにいる男達や子供達も心を許してくれるから、壁がなくなりとても接しやすくていいのだけど。
 ただ気になるのがもし子供みたいだからと言う理由で心を開いてくれているとしたら、純粋なハゲ一族の僕に若ハゲが始まったら気持ち悪くて、今とは逆に人がよりつかなくなるのではないのか?大変だマッサージをしないといけない、熱心に。
地獄の香港5日と吉野家
  チベット行きが決定してからビザを取るために、僕は昆明に戻り、そこで列車に乗って広州へ向かった。30時間の長旅が終わり広州駅でまず帰りの列車のチケットを買ってから(中国は利用者が多いので当日など買えない時がある)、バスに乗り深せんに向かうが、深せんについたが特別行政区なので香港に入る時のようにゲートをくぐりバスを乗り換えないといけない。でもここがどこなのかも分からず何番のバスに乗ったらいいのか分からない。筆談筆談で聞こうとするが外国人と分かると皆逃げてしまう。しょうがなく強面の公安の人に聞く、何とか相手をしてくれバスに乗ることが出来た。しかし香港に渡るかどうか悩んだ結果こちら深せん側で休む事にしたが、明日の11時までに申請しないと帰りの列車に乗れなくなる。香港渡ってから旅行会社を探すのにどれくらいかかるかなと思っていた。そのため駅の近くにやすいホテルを探すが見つからない、見つけた一番安いところで138元それを10元まけさせて128元、高い・・・。
 この日からが本当に大変だった、香港にどうにか渡り電車に乗るがガイドブックに書いてある駅名が見当たらないではないか、駅の名称が変更になったらしい。そこら変の人に聞くが教えてくれたのは名前は似ているがまったく別の場所だった、それに気がつくまでに時間がかかりバスを使おうとするが正確な場所が分からないので下手に乗れない、迷子には強いはずだが香港はよく分からなかった、結局迷ったあげく時間がなくなりタクシーを使う事にした。香港のタクシードライバーの英語の堪能な事と礼儀が正しいことに驚いた。
 僕の調べておいた旅行会社に入ると日本人の担当の方が接客してくださった、そこで僕は恐ろしい事実を知ることになる。香港は祝日で今日は休みだったのだ、と言う事は昆明行きの列車の日にちを変更しなければいけない。明後日にパスポートをまた持ってくると言って外に出てホテルを探す前に少し考えた、昆明行きの列車は毎日あるわけではないので、もしかすると大幅に帰る予定が遅れるかもしれない、考えてまずガイドブックに書いてある旅行会社に行き列車のチケットの変更ができるか聞いてみるが出来ないと言う、ここ香港では出来ないと言うので深せんならできるかもしれないと思い深せんへ行く、すると窓口はいつもの中国式で並んだりせず割り込み割り込みでまったく前に進めないようになっていた、その上係りの人間はやるき無しでもめてばかりいる。やっと自分の番になるが同じように変更できないとしか言われなくて、意味が分からなくて、再度チャレンジしていたら外国人が哀れに見えたのか少しだけ丁寧に中国語ではなくたどたどしい英語で答えてくれた、それによると深せんで買ったなら変更できるがそうではないなら買った駅の窓口でしか出来ないと。
 僕は考えた、このままこの307元のチケットを捨てるか、広州まで戻って変更してまた香港に戻った方がいいのか。答えは広州まで戻る事だった、それを決めた段階でもう夕方を過ぎていた。広州までバスで戻り変更料を払って日にちを変更できた。さてこれから香港に戻るのは無理なので広州で一泊し朝一番のバスで深せんに向かう為バスのチケットを買ってからホテルを探す事にした・・・・ここでまた恐るべし真実を知ることになるのだが、噂には聞いていた交易会が広州で開かれていたのだそれも今日から。広州は年2回企業たちが集まるイベントがあり、その時はやどの値段が2倍から3倍に跳ね上がるのだ、客引きに連れて行ってもらうホテルもすべて200元とか言うではないか、中国を旅をしていてこの値段はいつもの10倍近い、考えられない。ただ安いところが1つあって連れて行ってもらうが、真っ暗い路地に入り街灯のない団地のようなところの1室に案内される、多分連れ込まれて身包みはがされるのかと思っていると部屋の中にパイプベットが並べていて明らかに怪しい人達が寝ている、さすがにここに泊まる勇気は無くそこから出た。途方にくれていると時間は過ぎていき野宿を考えるが明らかに治安が悪い。公安が見たことの無い数いるし、ガラの悪い奴等がうろうろしている。もう駄目だと思っていると100元で泊まれるところを見つけた、その段階で夜の12時を過ぎていた、まーまー綺麗なところだった。
 次の日朝の6時に出発しバスに乗る、香港にわたり何とかパスポートを11時までに届ける事が出来た。後は待つだけだがここ何日かの移動移動で体力は限界だった。よく考えると昨日から何も食べてなかったのだ、何を食べるかと探していた時にオレンジの看板で吉野家と言う文字が目に飛び込んできた、時は狂牛病で日本では牛丼が食べれない時、僕は久しぶりの日本の味を堪能した。ここ何日かの地獄も久しぶりの懐かしい味に癒されたのでした。ありがとう吉野屋。



 標高4200M 理塘(リータン)
  人生でこんなに高い所を歩いた事が無かった、高山病にはじめて少しかかった。田舎ものだからかヒドクはならなかったけど軽い頭痛がした。中には熱が出たり鼻血が出たり刺すような体の痛みに襲われそうになる事もあるらしい。
 ここ
理塘はチベットエリアでも特殊なエリアに属する、ここらの男は体が大きく、無骨で少し危険な香りがする人が多い。
明らかに他のチベットエリアと違った。有名な話に河口栄海のチベット旅行記の中にこの地域の男に関する記述があってここの男が仏に過去の罪を告白していて、その内容が人の妻を奪い、殺人をしたと言っていたらしい。お寺などにたんまりと寄付をするためにヤクザまがいの事をしてお金を稼いでいたりするらしい。
 ここの男達は中国が進行してきた時に最後までゲリラとして戦った戦士でもある、この町にいるお坊さんも革ジャンを着てカスタムしたバイクで突っ走っている。本当にこの町はかっこよかった。でも怖くて写真を撮ることが出来なかった、同じ部屋にいた日本人と外にいるかなりいい感じのチベタン2人を見つけて写真を撮らせてもらいに行こうと一緒に向かった。チベタンたちのところに行って写真を撮らせてくれと言うが完全に無視をしている。どんなチベタンでも今までなら何らかの反応が帰っていたのだけど明らかにシカトをきめているのだ・・・。かなり怖かったが写真を1枚だけ撮ってそこから逃げた、僕のカメラではなくてもう一人の日本人のカメラで撮ったから僕の手元にその写真は無いのだけど・・怖かった.

成都(チョンドゥー)とパンダ
  動物好きの僕がぜひ中国に行ったら見たかったのがパンダだった、東京にいたときに上野動物園に行こう行こうと思って結局仕事が忙しくて行かなかった。でもここ成都にはたくさんのパンダがいる、なんていったって故郷なのだから。
 動物園にするかパンダ研究所にするかで悩んでパンダ専門のところのほうがいるだろうという解釈でパンダ研究所に行った。中に入ってパンダを見に行く中国の遠足の園児達がたくさんいる中を歩く、研究所の中はパンダの成長ごとにエリアをもうけ人口の森のような所がある。でもどこに行ってもパンダらしき姿が見当たらない、やっとの事で見つけたパンダは木で作られた日陰の空間にいるがピクリともしない。パンダは1日のほとんどを寝ているので動いているのを見るのは運次第らしい。それにしてもピクリとも動かないパンダを見ているとぬいぐるみが置かれているだけなんじゃないかなと思ってしまった。でもそういうパンダを何匹か見た後に子供のパンダたちが飼育員達と遊んでいる所に行く事が出来た。かわいい!かわいすぎる!女子高生ばりにかわいいを連発していたのでした。ぬいぐるみが動いているとしか思えない動きと、そのしぐさが赤ちゃんそのものでかわいかった。3匹いてご飯を食べると木の上に上がり昼寝を始めた、頭を相手の上に置いて寝ようと頭の置き合いが延々と続くが疲れて寝てしまう。人間の赤ちゃんを見ているようだった。しばらく見ていると飼育員達がパンダたちを施設の中に入れてしまったので僕等も移動する事にした。
 大きいパンダのところで飼育員の声がする、行ってみるとちょうど昼の笹をあげていた、大きいパンダたちもこの時ばかりは起き上がってきて笹をムシャムシャ食べている、大人になってもやっぱりパンダの動きはかわいい。パンダが世界中の人から愛されるのはこの黒白の模様としぐさだろうけど実際かわいかった。口笛を吹いたら食べながら上を向いたりしてしばらくそこにいてずっとパンダを見ていた。パンダを見れて本当に良かった。


火鍋・・
  四川と言えば辛いと言うイメージが僕にはある。じじつマーボー豆腐とかもここが発祥だ。だいたいどの料理も辛く慣れるのに時間がかかる。韓国人のミンス―には四川はとても良い環境だったかもしれない。でも僕は日本人の人並みに辛いものは好きなのだが火鍋と言う鍋料理だけはまったく手におえなかった。下の写真のようなものなのだが左の白っぽい方が辛くなく赤い方は恐ろしく辛い。食べ方はこの鍋が運ばれてきたら、自分で串に刺さったいろいろな食材を選んで持ってきて入れておいて茹で上がったら食べる。ただそれだけのシンプルなものなんだけど。
 中国人たちはこれが大好きでどこの町にもある、日本でいう焼肉屋やしゃぶしゃぶ屋と同じ感じかもしれない、家族や友人、恋人同士で食べにきてたりしていた。中国人は大抵は右側の赤いスープのみで食べる、が・・ここ成都で食べたのはありえないくらい辛い、湯気が目に入ると痛く、赤い方に1秒でもつけたのを口に運ぶと触れてないのに唇がひりひりして痛い・・・・とにかく半端ない辛さだった。僕は辛くない白いスープがいいので半分にしてもらって赤いのをミンス―で白いのを僕という感じで分けて食べた。ちょっとふざけて赤い方につけて食べると口が勝手に吐き出してしまう、本当に辛かった。
 でも韓国人も中国人もこんなの食べて味覚がおかしくならないのかと思う。だけどミンスーにしても周りの中国人がおいしそうに食べている。やっぱり食べれるのかと挑戦するが口が勝手に吐き出して断固拒否する、僕にはムリみたいだった。
 これを食べた次の日は注意が必要です。お尻が燃えているかのような熱さと痛みに襲われます。僕はこれを中国にいる間に何度も食べた結果、腸がおかしくなったのか辛いものを少しでも食べるとお腹を壊す体質になってしまいました。恐るべし火鍋。食べたい人がいても半々にしたほうがいいです、そうしないと食べられなくなってしまいます。


朗木寺と鳥葬
  ここは聞いたことがあったけど僕自身行く気が無かったけど、ミンス―に言われるがままついて行ったらここにたどり着いた。ここはまだ開発が進んでいない印象を受けたしチベタン達がいい感じを出していた、馬に乗ったチベタンや、バイクに乗っているチベタンがミイラ男みたいに頭から顔まで布でぐるぐる巻きにしていたりして個人的には楽しめた。ここにミンスーが来た理由は鳥葬を見るためだった、鳥葬とはヨーロッパが土葬で日本は火葬と同じでチベットの人達はその亡骸を鳥に食べさせる、それが鳥葬だ。なぜ鳥に食べさせるかというと死ぬと体は抜け殻でしかなく意味が無いので、鳥達の餌にでもなって役に立てればいいというそれだけらしい。それ以外にもいろいろ解釈の違いを聞くが僕が聞いたのはチベットのラマからだった。
 朗木寺は名前のとおり町が寺というか幾つもの寺の中に町がある感じだった。ここにいる僧侶達は黄色いモヒカンのような帽子をかぶる宗派だ。小さな町だが年に数回の祭りの時には観光客がどっと押し寄せるらしい。
 こんな小さな町だとどこで誰がなくなったかなんてすぐに耳に入る、するといつ鳥葬があるか分かるわけで、ホテルの従業員達が明日あるよと教えてくれる、僕等も明日あると教えられて明日それを見に行く事にした。ただ正直僕は見る事に抵抗があったりそんなのを見ていいのかと思っていた。ラサなどではわざわざお金を払ってまで行きモラルの無い人は儀式の途中に写真をパシャパシャ取るそうだ。そういうのにもなんだか疑問を感じいていた。
 次の日朝早くに出発して天葬台(鳥葬が行われる場所、大抵は小高い開けた場所)に向かう、朝早くからコルラをしているチベタン達と一緒に歩いて行く、天葬台が見える人がちらほらいるけど観光客たちだった。彼等も同じように今日鳥葬が行われると聞いて来たらしかった、でもその日は結局鳥葬は行われなかった。
 次の日もう一度だけ天葬台に行ってみる事にした、この日は観光客もいなくて僕等だけだった、僕等が天葬台に行くと鳥達が集まってくる、実際にここで行われているのは分かったが見る事は出来なかったと宿に戻っていた、しばらく戻ってなんだか頭上を鳥達がたくさん飛んでいる事に気がついた、なんだろうと思ってみると天葬台のほうにものすごい数の鳥達が向かっている、斜面を降った所にいたので見えないが天葬台のほうで何かがあってるのじゃないかと思い先に行っていたミンスーを呼び一緒に天葬台のほうへ戻る、人が集まり何かしている・・やっている鳥葬をと思った、僕等はゆっくり近づいて行った、トラクターの中から何かを引きずり出しぽいと投げた、そしてその中の男が口笛を吹くと周りで今か今かと待っていた鳥達がバサバサバサと置いたものの所へ向かい何かをしている、僕はある程度の所まで近づくとそれ以上前には進まずその場で見ている事にした、ミンス―はそのまま前の方に行った。チベタン達が僕等に気がつきこっちへ来てから見ろと言っている、僕は動かなかったがミンス―はまたさらに前に行って見ていた。しばらくして男達が鳥達の中に入っていって中から骨らしきものを取り出し素手でそれを砕き食べやすいようにしていた。なんだか変だなと遠巻きに見ていたけどその理由がわかった、単なる鳥だと思っていたのは羽を広げると3M近くあり頭が人の腰位にあるでかい鳥だった、それが60羽くらいいて人との遠近感がおかしいなと思っていた。
 そこで作業をしているのは家族ではなくて雇われた人達だった、家族は鳥葬のときは立ち会う事ができないらしい。
彼等は斧やハンマーを使って骨を粉にしてまで鳥にすべてを食べさせていた。
 儀式が終わった後ミンス―の通訳でいろいろとチベタンに質問をしたりした。いろいろと勉強になった。
 この儀式は地方ごとにやり方が少しずつ違うらしい、そして鳥葬は必ず体をばらばらにしなければいけないわけではなくて、人によってはただ放置してくれという人もいる、実際に朗木寺にも1体そのまま横たわっているのがあった。また僧侶は一般の人達よりさらに高い位置で同じように鳥葬にされて、もっと位の高い僧は火葬にされるらしい。
 なんというか実際に見て考えていくとチベタンにとっては普通で彼等の先祖も代代同じ場所で鳥葬されている、少しわきに行くと骨が山積みになっている、実際にチベタンと話しこうして代代の骨が積み重なっているのを見たらなんだか気持ち悪くも何とも無かったしお化けがでるなんていう嫌な雰囲気もなかった。目の前にあった光景は、彼らの生活そのものであり。普通の光景だった。たぶん僕が理解がなんとなく出来ていたからだと思う、先入観だけでいろいろと思っていたけど、こういうのもありだなと納得できた。いい勉強になった。
 イメージだけの問題だけど、火葬も焼いてしまうんだから鳥葬がどうこう言えないよな。人は土から生まれ死ぬと土に返る、死んでしまえば記憶の中にしか残らない。



夏河とファッション
  チベット文化圏でラサよりチベットらしいと聞いたことのあった夏河は観光地化され、そのうえセンスのいない中国の真っ白いコンクリートの建物が道を挟んでずーと伸びている。正直がっかりしてしまった、長いコルラ道?を1時間位歩いただけでたいした感動は無かった、本当ひどかった。余談だがここ夏河を境にチベタンのファッションが変わる、朗木寺までは女性がベルトをしっかりしたのをまいていて、腰に巻く布地のカラーも変わる、一番おしゃれだと感じたのはルウォールガイという町、ここが一番おしゃれだった。チベタンコートを買うならルウォールガイでオーダーメイドできるところがあるのでそこで作ったらいいです。明らかに質がいいのでお土産にもいいです。夏河は高い上に質が良くないです。
衝撃!!う○このピラミッド
  中国のトイレはなんと言うか、汲み取りなどのシステムが無いところがあって、公衆トイレはあるが、誰も管理をしていない所がほとんどだ。そして床のコンクリートに四角い穴が仕切り壁も無く並んでいるのだが、先ほど書いたように管理をする人がいないのでう○こは溜まっていくだけなのである、そして何年も放置されたトイレはどうなるかといえば、積もりに積もりビラミッドを形成するのである、見事に三角の形を形成し、中にはコンクリートの床面よりその頂上が飛び出したりしている、ここまで来ると、汚いという思いより。何人の人間が何年間かかってこのう○この▲を完成させたのかという事をまじめに考えてしまった。このできる仕組みを分かりやすく言うと鍾乳洞のツララのような▲と同じ事である。いや見事であった。さらにつけくわえると、そういうトイレはの下は何も無い外から丸見えの空間なので外からその▲を見ることができる。高さは1M以上あった・・うーん立派だった。
ミンス―とのコミュニケーション
  実は僕とミンス―はコミュニケーションをちゃんと取れるようになるまで時間がかなりかかったのでした。なぜなら僕はタイからベトナムまでで必死に覚えた英語を使う事が出来たのだけど中国語はまったく駄目で、ミンス―は中国語はぺらぺらだけど英語はかなり駄目だった。つまり僕等には共通の言語がなかった。はじめに僕がミンス―との旅を少しためらったのは意思の疎通がほとんど出来ていなかったし、理解をしているのかすら分からなかったからだった。話が通じない人間と長期間旅をするのは基本的に一人でぷらぷらするのが好きな僕にとってはストレスでしかなかった。中国語ができる人が一緒だからいいよねと言われたりもしたけど、初めはまったくもって何がいいのか分からなかった、確かに値引き交渉をミンス―がしてくれる事はとても助けになったけどそれだけと言えばそれだけだった。例えば中国の食堂に入ると自分で食材を選んでどう料理するか注文できるのだけど、茹でるとか揚げるという単語が分からないミンスーに何と伝えたらいいのか分からなくて直接調理のまねをして中国人に伝えたりしていた、だから僕一人の時とあまり変化は無かった。
 それでもしばらく一緒にいると中国語と日本語と韓国語と英語が混じった独特の言語を作り出しコミュニケーションを取れるようになった、それを見ている他のの旅行者達は僕等がどうやってコミュニケーションを取っているのか不思議でしょうがないみたいだった。でも人間には適応するという能力を持っているのでこういう事は大して難しい事では無いのかも知れない。下手に英語でばかり話していると相手が誤解しているけどそれに気がつかないままとかいう事があるけど、お互いが適応させた会話だとめちゃくちゃな文法でも的確に伝わっていたりした。
 不思議だと言うけど、よく考えてみれば、教科書も無い現地の言葉を覚えたりするのもこれとまったく同じで適応する事が出来ているからだから驚くにはあたいしないかも。
 ただミンスーといたせいで中国語を覚えられなかったのが残念だ、それでも四ヶ月もいたら中国語の言ってる意味が7割理解できていた。だけどもう今では中国語も話せないし、ミンス―から電話がかかってきてもどうやって話していたか忘れてしまっていた・・
すごい確立とコウさんの悲劇
  西寧で僕等はチベットに行く準備をして靴なんかを探してしていた、そろそろ僕はミンス―と一緒にいつもいる事にいらいらし始め一人で行動をするようになっていた、ミンス―はチベット入りを直前に僕が別のパートナーを探すのではないかと考える位いらいらしていたみたいだ。コミュニケーションは取れているけど、いつも90%で終わりだ、確かにそれでも僕等の状況を考えればすごいのだろうけど思う事を伝えられないと言うのはストレスが溜まってしょうがない。
 僕は一人で西寧の大きな市場を歩いていた、するとものすごい中国人の中に何だか見たことのある人がこちらに向かってくるではないか、相手も気がついたらしく何してるの、すごい確率だねと中国人たちの真っ只中で大きな声で日本語を話したのである。その人はコウさんという人で康定ー>理
と会っていたのでここで3回目だった、そしてこの後もちょくちょくメールで連絡を取り合いながらチベットに入っても再会しました。
 しかしこの大きな西寧のこんな市場で出会うなんてすごい確率だと思いながら一緒にうろうろする。僕は靴を探していたのでコウさんも一緒に見て回る事にした。何軒か回って僕が靴を買うとコウさんも靴を買う気になりお気に入りの靴があったお店に行った。そこでコウさんも僕も気がつかなかったのだけどコウさんが靴を従業員と楽しそうに選んでいるのを僕も一緒に見ていた。、お金を払う段階になってコウさんのオレンジのかばんが無い事に気がつき従業員が取られちゃいけないからと荷物を預かっていてくれていると思ったが、どうも違うみたい。そこで僕等は置き引きに合ったことに気がついてコウさんは店を飛び出していった、僕も飛び出すがそこは大きな町の大きな通りである、どちらに逃げたのかも分からず探すが途中で靴屋に帰る事にするコウさんも帰ってきて一緒に公安に行く事にした、保険の申請のためだ。お金は入ってなかったがアドレス帳とかデジカメとか思い出系の品が無くなっていた。コウさんの悲劇でした。

 





 コウさんと公安に行った時になぜかこんなものが部屋においてありました。

 こんなのが許されるとは中国は恐ろしいです・・・・

物乞い子供ギャング
  物乞いの子供でも中国の子供は少し違う・・西寧での事だが、橋があってそこにいつも子供達がたむろしている。小遣い稼ぎをしているのか、本当に貧しいのか分からないが、とりあえず片っ端の大人におねだりをしている、しかし外国人だと分かると半端がなくしつこくなる。道をふさぎ右足左足と子供がしがみついて離れないのだ、ひどいようだが一度子供達が道をふさいだ時に止まらず体ではじいた事があった、すると後ろでペッと音がして唾を吐きかけているではないか、たちが悪いのです。その次は前にも書いたとおり両足につかまって歩けなくなって引きずって歩いても離れなくて、見かねた中国人が注意してやっと離れた事があった。それいらいこの橋を歩く時には子供達に気がつかれないようにこっそり人ごみに紛れなくてはいけなくなった。ここだけではなく、歩道橋や歩道ありとあらゆる場所で足に重みを感じ歩けなくなることが多々あった。これではギャングと同じではないか。
TIBETへ
 話の順番ではここからTIBETに入ります。 TIBETへ ←Click

 敦煌と鳴砂山の前はUIGURUです。 UIGURUへ ←Click
敦煌と鳴砂山〜 侵入失敗 捕まる 〜
  敦煌には映画の敦煌やテレビのシルクロードスペシャルなどで見て小さい頃からの憧れがあった。ただ実際に見てみるがなんともぱっとしないものであり、外観だけで十分だった。中国ではお金稼ぎのためか分からないが、主要な観光名所の入場料が年々上がっていて、明らかに値段が高い、日本などの入場料金より高いとはどういうことだ?歴史的建造物に入るのに管理費としていくらか払うのはわかるが、中国で1300円くらい入場料で取るのは理不尽ではないか?そのうえ敦煌の修復や保護は日本がほとんど出しているではないか?さらに日本人から金を巻き上げるとは何様だ!さらにさらに中国ではこういう場合の学割は中国学生のみで国際学生証は意味をなさない・・腹が立つ。なのでインターネットで見た裏から侵入する方法を試したのでした。  
 まず人気のないほうにずーと向かい隙を見てひょいと柵を乗り越え中へ・・うまくいったと思っているのだがよく見ると明らかに僕等の行動はおかしい、僕等2人だけ流れに逆行して歩いている、あっバレバレだ、観光客に紛れようとするがミンス―があちらに行くと言って近い観光客の団体から離れてしまった、するとまっすぐに無線を持った人が来て捕獲されつまみ出されたのだった。怒られたり罰金を払わされたりしなかったが、すこししょんぼりして外観だけ見て帰ることにした。
 その次の日に僕等は鳴砂山(メイサーシャン)という砂漠を見ることにした、この名前の由来はある一定の条件で砂漠を滑り降りるとゴゴゴ・・という音がする事らしい。
 敦煌の町自体がオアシス都市で、木が植えられているところを境に砂漠がどーーんと広がっている。そこの一部に大きなゲートが作られ観光客から金を取っている。ただここになぜゲートがあってお金を取るかといえば砂漠の真中に月牙泉というオアシスがあるからなのだ、一度も枯れた事がなくなぜか三日月の形をしているのだ。、前日の敦煌はお金を多少とってもいいが、この自然の砂漠からお金を取るとはどういうことだ?分かりやすく言えば琵琶湖を見るのにお金を取るのと同じだ!納得がいかない、また侵入である、とはいってもゲートの脇道に入っていけばどこまでも砂漠は広がっていて柵などないのだ、バックパッカーたちは同じ理由で無料で侵入するやつらがたくさんいる。
 何もない砂漠に出て、てくてくと月牙泉へ向かう。本やテレビで見るとおり砂漠は怖い、こんなところに一人で置いていかれたら100%生き残る自身が無い、目の前に見えるのは砂の海と太陽と地平線だけなのである、てくてくと歩くと足跡だけがそこに残り風がそれをかき消すのだ・・・こんな所を商人達はらくだでシルクを運んでいたんだなと想像していた時、どこからとも無くドドド・・・という音と2人乗りのバギーが僕等の横に来てチケットを見せろという、僕等は知っていた、こいつ等は本物の係りの人間ではなくて、僕等のような侵入者からお金を取るなんちゃって係官なのだ、ここで帰るといって引き上げても再度侵入すればまた捕まるので僕等は交渉で2人で1人分の学割料金でチケットを手に入れた、このチケットだって古いものなんだけど。後で聞いたのだがこうやって侵入するやつはたくさんいて朝のゲートが開く前に砂漠に入るらしい、それが一番確実との事だった。
 偽チケットを手に入れた後は存分に満喫したのだった、日が暮れるまでいて月の砂漠を味わった、日が暮れるのも見たし風で砂漠の形が変わっていくのも見ることができた、予想以上にすばらしかった。また行ったら今度は砂漠に泊まってみようと思ってる。

中国人の衛生感覚
  中国は食の国と言われるくらい食いしん坊の国だ、だけど食の国なのに衛生感覚が悪い、中国のテレビでやっていたのだけどザーサイ工場があってビン詰の作業をしているが、靴を履いた足元にザーサイが転がっていてそれを拾うと切ってビンの中へ。このテレビ番組も衛生観念を高めるためのものだったみたいだけど、果たして効果はあるのか?また何なのかを忘れたけど発酵した食品を作ってる会社では発酵を早めるためと色をつけるために糞尿につけていたと、そしてさらに問題なのはそれを作ってる人達が食べていたという事・・・・・。タンはどこでも吐くし、手鼻はかむし、バスの中にスイカの食いかけなんかが散乱し・・・・公衆トイレは最悪だし、衛星感覚はかなり悪い。
四安
  四安は中国の歴代の王朝に都として使われていた歴史ある街だ、街自体も城壁に囲まれ中国の都市が城塞都市だったことが分かる。駅も大きくマクドナルドやケンタッキーなどもある。四安周辺には観光名所がたくさんあり多くの観光客が訪れる街だ。ただ車の交通量が多くガスで視界が悪くなったり、喉をいためたりする。
反日騒動
  ここ四安で少し前に反日運動が起きて、日本人留学生が日本に帰国すると言う騒ぎがあった。ミンス―もそれを四安で見ていて、その話をしてくれた。
 反日運動は小さなものではなくて四安全体がそういう雰囲気になった、寮にまで中国人学生が来て、ドアを蹴破って日本人を探し出そうとしていて日本人達は身を隠すために寮を出てホテルなどに非難した。しかしなぜかホテルもすぐに場所がばれ囲まれるなどして大変だったらしい。また日本人達は宿を転々として身を隠すつもりだったが、ホテル側からは日本人は泊める事が出来ないと言われたりして大変だったらしい。そして移動するにもバスやタクシーなどのすべての交通機関も日本人というだけで乗車を拒否したらしい。食堂もスーパーもすべてが同じような状態だったそうだ。顔が似ている韓国人は日本人かどうかと聞かれて身分証まで提示を求められたり、外を歩くと間違われて襲撃されるかもしれないから出歩く事もできなかったそうだ。
 想像して怖いなと思ったのは広い四安の道路がデモをする大学生達で埋め尽くされたらしい事、そしてその集団は四安すべての大学に呼びかけられて集まった人々だったそうだ。ただデモの後ろの方に行くとなぜデモをしているのか分からないが楽しいからと言う理由で歩いていた人々もいたそうだ。
 学校では誤解を解こうとアメリカ人やイギリス人の教師達が中国人学生達を説得したが効果はなかったみたいだ。いまだにそのときの事を尋ねると誤解をそのまんま持っているらしい。
 四安は昔から反日の盛んなとこらしいが、これだけ都市全体が反日ムードになると中国の公安も下手に手を出せないと思う、なぜならその矛先は政府に向かう事になるから。しかし集団心理も中国みたいに人が多いと怖いな。
シャワールームに全財産置き忘れ事件
  中国というとみんな危険だとか、泥棒がいるとか日本人はカモにされると言う。確かに貧富の差は広がりお金に対する執着も高まっている。
 僕はいつも貴重品を腰にまくタイプのを使っていて、シャワーに入る時も持っていく。初めての経験だったが四安の宿でパスポートから何からすべて置き忘れた事があった。そのうえ置き忘れたことにも気がついてなかった。
 朝、扉をノックする音で目が覚める、ドアを開けると中国人の若者が4人ほど顔をのぞかして何かを言っている、ミンス―は機嫌が悪く通訳をしてくれない。若者はパスポートを見せ名前を言えという。僕の物かを確認したいみたいだけど、僕が理解をしないので向こう側から名前を聞いてきた、寝起きでなぜそこに僕のパスポートがあるのか理解ができなかった、その場はとりあえずパスポートなどをありがとうと言って受け取った。しばらく考えを整理していて状況が理解できてきて怖くなってきた、この中には僕の全財産が入っていてカードなんかも入っていた、もしこれをなくしていたら僕はどうしていただろうか・・・。とりあえず幾らかお金を持ってその人達の部屋に行った。少しの英語でお互いにコミュニケーションを取り感謝の気持ちだが受け取ってくれと言っても絶対に受け取らない、ただ一言「君が中国に旅行しにきてくれただけでうれしいよ、そして君と会えただけで十分だ」と言うではないか。結局お金は受け取ってもらえなかった。
 日本人の中国に対するイメージはあまりよくない、確かに中国人留学生達の凶悪犯罪のせいだと思う。別に僕は犯罪者を擁護するつもりはないけども、そういう学生達のほとんどは中国にいたときはいい子だったが、日本に行き手持ちのお金が少なくなりまともに生活が出来ず犯罪に手を染めてしまったと言う人がほとんどだと思う。僕のパスポートなんかを届けてくれた彼等はお金などを目にしているが手も触れてなかった、中には彼等の1年分以上のお金が入っていたのにだ。
 確かに僕が運が良くていい人に拾ってもらったのかもしれない、だけど、一方的な中国は危ないという考え方は、彼等のような善良な人々に失礼だと思う。善良な人は意外と多いのかもしれない。
兵馬庸
  世界の不思議によくあげられる始皇帝の兵馬庸、一つ一つ顔の違う人形がずらっと並んでいる。作られた当時は色も塗られていたらしい、身分によって違う人形も作られていたり馬もちゃんと作られていた。ここは見てよかったと思った。
中国行ったらこれは見たほうがいい、ちなみに中国人以外学割は適用されません。チケット売り場の横で中国人大学生を捕まえてチケットを買ってもらうのが賢いです。


ひまわりの種
  中国に来てバスなんかで移動をすると中で中国人がパリッ、ポリ、カリッとか音がし大量の何かのカスを足元に捨てている。なんだ?と思ってみると彼等は必死にひまわりの種を食べている、僕はこれが意外とおいしい事は知っていて子供の頃から食べていた。中には味の付いたものなんかがあって、以外とおいしくて中毒になりそうになる、そして一度食べだすとリスやハムスターばりに次から次から食べて止まらなくなる。だから4時間くらいバスに乗ると信じられないくらいの量のカスが足元に広がっている、それもバスの中で10人以上が同じように食べたりする、意外とお土産とかにいいかもしれないと思う。

 ←これがおいしい。スーパーとかに売ってるから食べるといいよ。
青島へ ミンスーありがとう。
  この中国の旅もいよいよ終わりで四安から青島へバスで行く事になった、よく考えるとミンス―とは約3ヶ月一緒にいた、そしてほとんどミンスーのおかげで安い宿いも泊まれて、うまい飯も食べる事が出来た、それに値引き交渉にかける執念のおかげでどれくらい旅費が浮いた事か。なにより、ほとんど何の心配も無く、ついていくだけでチベットを旅する事ができた事は感謝しても感謝しきれないくらいだ。人生で韓国人と話したのはもミンス―が初めてだったので韓国人というのを観察できたのも面白かった。これからミンス―は日本語も勉強すると言っていた、近い将来日本語、中国語、韓国語を駆使して仕事に励む彼女の姿を見ることができるかも知れない。
 本当にありがとう、いつまでも良い友達でいてください。そして中国に行ったら泊めてください。


  なぜかキリンビールのマークが・・・・
快適な2泊3日の船旅
  青島から船に乗る、一番安い等級にしたが、お客はガラガラで貸し切り状態だった。エアコンも効いているしテレビなんかも見ることができる、快適だった。なによりうれしかったのは大浴場で大きな湯船入れたことだった、この7ヶ月チベットのコケだらけ温泉で湯船に浸かった以外毎日シャワーだった、このお風呂に入る時日本人でよかったなーと心底思った。
 少し揺れて気持ちが悪くなったりもしたけど快適な2泊3日だった。
中国を旅して
  4ヶ月もの間、旅をする事になったこの国。予想通り変な国には間違いは無かった、チベットの事とか嫌いな面が強いけど、いろんな中国人に会う事が出来て僕の考えの中にほんの少しだけど希望が見えたような気がした。
 この国が今現在ものすごい転換期にいる事はすぐに分かった。この中国をバカにすると本当に痛い目に会うし、まだまだと余裕をかましているとものすごい勢いで追い抜かれてしまう。この国を旅してこの国の底力と可能性に正直一般人の僕が危機感を感じた。もうすぐ中国の時代が来ると一般的に言われていることだけど、間違いなくものすごい力で政治的にも経済的にも存在感を出してくる。
 末恐ろしい国だ・・・日本にも中国人観光客が流れ込むようになり、中国人に食わせてもらっているような状態になると思う。本当にこの国をなめちゃいけない、ODAなんかもう必要ない間違いなく。政治家達は自分の目で見るべきだ。
 この国は今でも3億人以上が日本人と同じかそれ以上の水準の生活を送っている、それくらいの水準の人々に会うと考え方が恐ろしく柔軟なことに驚かされる、近いうちにこの国が中から変わりへんてこな国だといわれない日が来ると思う。
 変化の時の中国を自分の目で見ることが出来て本当にいい経験が出来ている。
 ここまでを振り返って
  ここまでの7ヶ月間を振り返ると、良い経験と良い出会いと良い友人達に恵まれたなと思う。何かに導かれていた気がするという表現は余りよくないかもしれないが、僕自身そう感じる位この7ヶ月間はうまく行き過ぎたと思う。

 東南アジアからチベットまでとても内容の濃い旅だった、列強の支配、冷戦、内戦、戦いの傷跡、人身売買・・など教科書で学んだ事を実際に自分の目で見て考えた、それと子供達の笑顔、自然、遺跡、出会い・・・とにかく色々な事がギュッとなっていた気がするし、これからの旅でも同じだろう。
 旅をしていて考える時間がたくさんあるのでいろいろと考える、このたった7ヶ月間を言葉にするなら何かと考えたら意外とあっさり答えが出た、”ありがとう”という言葉だった。まだ旅が続くのにもう言っちゃっていいの?とも思うが、この先もたぶん答えは変わらないと思う。別にかっこよくとか考えすぎではなくて、みんな同じなんじゃないかなと思う、結局今ここにいる事、旅ができてる事、いろんな人と出会えたこと、生まれてきたこと、おいしいものを食べれる事。すべてはそこからだ。世の中にはいろんな価値観が人の数だけ存在していて到底それを理解しようなんて出来る訳がない。
 旅に出て何か変わったかと聞かれるが、いろいろ見て変わらない方がおかしい、でも人は日々学習して変化しつづけてるから結局変わったと思っても元に戻ってるかも知れない、だから僕が変わったからってたいした事じゃない。

 またお腹壊すのか・・・ただそれだけが心配だ。 
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