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Rute of Tibet

憧れの西チベットへ行けてしまった・・
空が青く近かった、忘れられないな

ゴルムド→ラサ→シガツェ→ギャンツェ→

シガツェ→ラツェ→アリ→タルチェン→

マナサロワール湖→プラン→ナムル→

ツァンダ→アリ
TIBET
  ヒマラヤ山脈の側にあり世界の屋根と言われる標高の高いところにあり、ここでしか見る事の出来ない綺麗な風景を見る事ができる。今現在は中国に占領されているが亡命政府はインドのダラムサラという町にありダライ・ラマがチベットのために非暴力で活動をしている。
 1950年の中国侵攻からこのチベットでは中国政府によるチベット人に対する抑圧が行われている。中国という国家はかなりのひどい事を今現在でも行っている。チベットへの入植や中国語教育も順調に進められていて、効果が出てきているようだ。独自の文化や言葉と文字を持つのに学校では中国語しか教えられず、本屋にもチベット語の本はほとんど無い。
 詳しくは"チベット問題"で検索すれば調べられるのでぜひ調べてみて欲しい。世の中にはチェチェンやパレスチナなどいろいろと問題があるけど、日本のこんな近くでも苦しんでいる人々がいるということを知ってもらいたい。
独学TIBET辞典
  下の方に出てきますが、ツァンダへのヒッチ中継地点で待った何日かの間にやること無いので、チベット語を一生懸命覚えました。そこでチベット語の単語を少し書いてみます。正確かどうかは分かりませんし、地方ごとで発音が違ったりしました。どうなんでしょうか・・・・、あとtibetの情報も少し書いておきます。

別ウィンドウを開きます---click-->なんちゃってチベット辞典
ゴルムドからラサへ
 西寧からゴルムドに来て闇の交通手段を探す、駅前にいるランドクルーザーやその業者はほとんどが外国人でパーミットを持っていないことで足元を見て値段をふっかけてくる。ただそんなに旅行者がいるわけでもなく金に糸目をつけない人は値段を気にせず乗ればいいとおもう。がしかし闇と言うのは明らかに法律を犯していて、それを仕事にしている連中は堅気の人間ではない事を認識しておく必要があると思う。中には公安とグルでダブルパンチを食らうという事もあるから注意した方がいい。あとホテルに泊まると公安に連絡が行くと言うのも泊まれるホテルが決まっているなんて全部デマ。信じる必要は無いのでじっくりと業者を選ぶ方がいいと思う。業者はたくさんいるから。
 僕等はゴルムドに滞在しいろいろな業者と接触していた、不思議と業者は外国人が泊まるホテルを知っていたりして、部屋にまで来てくれたりしていた。観光客が少なかったのかもしれない。中国語のできるミンス―がいるおかげで実際に話していい奴ぽいかそうではないかと探ってくれていた、実際相手と話せるかどうかはとても重要だ。相手も言葉が分かるとなると変な事はいえないから。そんな感じで交渉していたけどすっぽかされたりしてなかなか出発できないでいた。
 そんなある日、ホテルの前の屋台でシシケバブとビールを飲んでいると横に業者の連中が入ってきてミンスーと飲みながら交渉を始めていた、その中のリーダー格の筋肉モリモリの奴が僕等が恋人同士ではないということが分かるとミンスーを口説き始めた。ミンス―から聞いた話だと口説きながらも交渉をしていて、当時僕等と同じ宿に宿泊していた日本人と僕の2人は800元でミンス―はタダでいいとその代わりどこかに行こうと誘っているらしい、ただ僕はそれをミンス―に任せて他の奴等と俺等は兄弟だ!親友だ!と騒いでいた。そのリーダー以外の人達はとてもいい人達でビールを嫌というほどおごってくれたいた。ミンス―は僕にリーダー格の奴が提示する値段を報告して僕はまた指示を出すという形がしばらく続いていた、ただミンス―を相変わらず誘っているのは変わらなかった。僕はあまりに飲みすぎたのでトイレに行きたくなってホテルに戻ってからその屋台に戻った、するとなんだかミンス―の表情が険しく、そのマッチョと話しているが相手にならないといったそぶりを見せている。ミンス―聞くと安くするから俺と来いとしつこく僕がトイレに行った隙に攻勢をかけたみたいだった、その日の前日にこうした奴等が日本人や韓国人の女の子をカモにしていて、安くする代わりに体で払えという事が実際にあっているというのをホテルの人間から聞いていたので、まさにその行為をしつこくしているのがなんだかムカツイて滅多にキレる事は無いけどこの時はブチキレた。胸倉をつかんで戦闘状態に入る、お前等は日本人の女を何だと思ってんだ?なめんじゃねえぞ日本人をゴラァ!!である、しばらくもめていたら他のいい奴等が間に入り僕等を引き離した。テンション高まりながらも意外と冷静で君等はいい人だがあいつは悪い奴だ!!と中国語でなにか言っていたのでした。ミンス―は冷静で飲み代を店に払っていた。マッチョと殴り合いの喧嘩になっていたら、たぶん僕はボコボコなっていたかも。
 なんだかこの旅のいたるところで日本が誇る大和撫子をおもちゃにしてる奴を見て溜まっていたムカツキが爆発したんだと思うし、それだけではなくてアジアの国々での女性を道具として使われていた事なんかも含めてなんだか複雑な思いが蓄積していたんだろうな。
 結局僕等は安心できる業者を探し出してトラックヒッチ200元ででラサまで向かったのでした。ちなみに直接ラサへ向かう1本道の所まで行き直接トラックと交渉すると100元でいける。
ラサ
 ここはチベット自治区の区都であり、ダライラマの宮殿ポタラ宮があるところでもある。ここから今のダライラマはヒマラヤを越えインドに亡命した。なんだかチベットを見たいからラサに行くと言う人達がいるが、ここはほぼ中国化してしまっていて想像していたのと違うとがっかりするかもしれない。チベット文化を見るなら西チベットに行くか、四川チベットエリアに行くしかないかもね。せっかく苦労してゴルムドから入っても本当のチベットは見ることができないかも。
 僕はラサには魅力を無く感じなかった、ポタラ宮の周りも中国政府により観光地化され、チベット解放記念碑が勝手に建てられ、中国の旗が揺らめいている。昔の写真を見るとポタラ宮の周りには大きな河?お堀?があったみたいだが今では埋め立てられ公園になっている。魅力をまったく感じないが逆に中国政府のやっていることに腹が立ってしょうがなかった。このラサには刑務所がありそこに政治犯が入れられ人権無視のすごい事が行われている事をどれくらいの日本人が知っているだろうか?正直なんとも言えない場所だラサは・・。
偽者巡礼KID'Sは金持ち?
 ラサのジョカン寺の周りには巡礼者の姿をしたなんちゃって子供巡礼者がお金をくださいとせびって回っている。チベット人たちも本当の巡礼者達には小額のお金を渡し旅を続ける助けをしてあげている。
 この子達は明らかに偽者でいつ行っても金を集めて回っている。そのうえ仲良くなったら懐から飴を出して僕の口にねじり込むようになった・・・正直食べたくなかったけど・・。彼等と一緒にいると意外と金を持っていることが分かる。タイの物乞いと同じで子供のくせに懐から札束を出す。そして彼等にもプライドがあり飴をあげるとちゃんとお金を払う、意味としては俺等は物乞いじゃねえという主張があるようだった。そこらの差がよく分からないのだけど、こずかい稼ぎをしてるだけで食べ物に困っているわけでは無いとでもいうのか?仲良くなると前にあげた小額の硬貨を返してくれる。へんな奴等だった。

 余談だが多分日本人と思われる人間がチベット人にお金を払ってポーズを注文し写真を撮っていた。いい写真はこうやって撮るものなのか?マスクしていたからもしかしたら有名な人だったのかもしれないな。



 


 この時、中国人金持ち観光客から50元を手に入れていた。

 よく見るとチベット人じゃなくて中国人の子供だったりする。
信じる事
 五体倒地をしながら聖地をめざす、それも何年もかけて・・・。インドから来る巡礼者は片道10年かけてカイラス山に向かうという、もちろん10年かけて戻る。このチベットに行くと信じる事のすごさと言うのがよく分かる。この世界が宗教で成り立っている事、中国政府が宗教を弾圧する理由が分かる気がする。
 チベット人は子供から大人まで毎日お寺の周りやポタラ宮などの周りをクルクルまわる。片手に小さなマニ車を持ってもう片手で数珠を数えながらお経を唱えた数を数えている。寝る前には活仏の写真にお祈りをささげてから寝る。



毎日お寺の周りを1時間以上かけマニを回しながらコルラをする。またお寺に向かい全身で祈る。
チベタンドッグ
 チベタンドック・・チベタンマスチフとも呼ぶが、とっても危険な犬だ、昔はこのマスチフが野良犬として徘徊していたらしいが、今は普通の野良犬が群れをなしてうろうろしている。
 普通の野良犬でも野生に近いからか、何というか目が燃えているという表現が理解できるかな?漫画でよく書かれているあれ。それで明らかに威嚇ではなくて殺す気でいる。万が一これに会ったら逃げてください戦うなんて思っちゃ駄目です。死にます。
 襲って来ても背を向けて逃げたら駄目です、目を見ながら後退しましょう。んで上着かなんかを広げて足なんかを見えないようにしながら下がったほうがいい、足に噛み付いてきますから。石を何個か投げて手に持ったまま移動して襲って来そうになったら投げるふりをすれば逃げます。それよりもたまにいる羊の方に注意が必要です。チベタンシープ注意

 
  目が怖い・・・・

  この後この犬は鎖がしてあるのですが、引きちぎらんばかりの勢いで
 
  がるるるるるるると向かって来ました。
  ←これがチベタンマスチフかはわかりません
悲しいシガツェ
 このシガツェは悲しい歴史を持っている、ダライラマがインドに亡命したが、シガツェのタルシンポ寺のパンチェンラマ10世は国に残り中国側の要職につきチベットと中国を取り持とうと努力するが、やっと北京からチベットに帰ることが許されてシガツェに帰ってすぐに死亡した、死因は不明らしい。一般的には毒殺だと言われている。その後パンチェンラマの転生をダライラマと中国政府の両方が擁立しダライラマが選んだ方の少年は中国当局に拉致され現在でも居場所がわかっていない。そして子は世界最年少の政治犯となった。中国政府が擁立したパンチェンラマ11世はいまだにテロを恐れて北京にいる。 シガツェにて僧侶200人によるデモがあり、彼等は皆処刑された、その後宗教の自由が部分的に認められて現在にいたる。
今のチベット人
 やはり洗脳教育の効果が出てくるのか、若いチベット人達が異常に中国という言葉にこだわる、例えばチベタンコートと言うと違うチャイニーズコートだと言い張る。そのくせ家には禁止のはずのダライラマの写真が張ってある。また伝統的なサカダオの祭りを知らなかったり、毛沢東はグレイトだと言ったりする。チベット語でかかれた本はほとんど存在せず、辞書もチベット語から英語の辞書なんて無いと。言葉を抹消しようとしてんのか?中国?文明大改革みたいにしてしまってからまずいと思っても遅いんだけどな。だけど内地に行けばチベタン達は逮捕される危険を覚悟でダライラマの写真を持っているかと聞く。変わったように見えても絶対に変えれないものがある。
恐るべし KOREAN NETWORK
 西チベットへパーミットなしで入る場合検問の事とか色々と心配な事が出てくる。日本人は大抵アリまで行きそこで罰金を払ってパーミットをもらうのだが、ここの段階で韓国人は大きく違う。何で罰金払ってからカイラスに向かうの?カイラスで捕まっても罰金の額は同じだしその場で発行してもらえるじゃないと言う。つまりはとりあえず行ってみてから考えようというパターンなのだ。ここで面白いほど民族性というのが出ている。ラサであった日本人達は西カイラスに行けるかな?捕まったらどうなるかな?デマに踊らされたりしながらも情報を確実に取ってから行動しようとする、なのでインターネットなどの情報も大体みなきれいと言うか、ある程度、情報が決まっている。しかし、韓国人のインターネットの情報はおもしろい、まずどこで捕まって、何回公安に追いかけられて全部逃げ切ったとか、公安に捕まったらこんな感じでハッタリをかまして騙せたとか、とにかく挑戦している。日本人がハッタリかまして逃げたとかインターネットでそんなに見た事が無いが、さすが韓国人ケンチャナヨ精神とでも言うのか・・僕の持っている日本人の情報は低リスクの代わりに時間がかかったりと安全思考だ、すべてミンス―はそれをぶち壊し、突っ走ったのである、検問はすべてパス、ここはムリかなと思うところは兵士がいなくて代わりに同乗中国人が検問のバーを上げたり・・・本当にどうにかなるものだ、結局一度も公安に捕まる事も声をかけられた事でさえなかった。
 もし、西チベットに行きたいときは、日本人の情報より韓国人の情報の方が実戦的かもしれません。
ただ、僕の会った韓国人たちは、そういうことには図太いのですが、高所恐怖症だったりニワトリ恐怖症だったり、食べ物の味が口に合わないとか泣きそうな顔をしたりする変な人達でした。
地獄の西チベットへの道
 ラツェからアリまでバスで行く事にしたが、チケットを売っているところが2ヶ所あってバスの止まる所と、そこから少し離れたパン屋、俺は直感でパン屋のほうはやめて必ずバスが止まる方でチケットを買えとミンスーに言ってたのに、ミンス―はどちらで買っても同じ料金だと言ってパン屋で買った・・・・・出発当日検問があるのでジープに便乗させてもらって検問をクリア、その先でバスは僕等を待っていてくれたが・・・・寝台バスに乗り込むが僕等の寝る場所が無い、直感でやられたと思ったが、ミンスーはまだ少し余裕でもう少ししたらあくはずと言う、僕等は通路に置いた穀物袋のうえに座って待つが待っても待ってもあかない、僕等は世紀の値段を払ってるんだとドライバーと言い合うが、ドライバーはパン屋からは1人分の料金しかもらってないし、もうベットは開いてない、20時間待てば大勢が降りるからそしたら寝られるからまて、そんでしょうがねえからドライバーの寝るところ1人ずつ寝ろと、でもミンス―は横が男だから寝たくないと言う理由で俺が寝る事に。
 ほんと直感だったんだけどミンス―は見抜けなかったね、この旅で少しは俺も見る目が成長したみたいだ。そんなことより、結局ミンス―は一日ずた袋の上に座りつづけて、俺は横になってるけど隣に男が我が物顔で寝てるからなんとも寝苦しく、本当に地獄だ・・・計52時間バスの中にいなければならない、それも道なんて本当に無く下手をすると轍も無い、ガタガタそこらの田んぼを走っているのと同じだ。何を頼りにドライバーは運転してるのか。途中でトイレ休憩なんかあるが、ほとんど記憶に無い、きれいだという記憶はあるのだが、ちなみにシガツェで食べた火鍋のせいで僕は100%おなかがおかしくなって下痢気味なので、バスに乗る前から水もほとんど飲んでないから小便も出ないのだ・・余談だがこの火鍋のせいで少しでも辛いものを食べると下痢をする体質になってしまったのでした。
 途中でパンクはするし、トラックともぶつかるし、別な会社のバスとぶつかってその別の会社のバスが追いかけてきてバスを並べてぶつけたか調べろと口論になり、一回逃げたもののまた追いつかれかなりの時間言い合ってた。もうそんなのどうでもいいんだ、早く車を動かしてください・・・・・死にそうになりながら20時間がたち何とか場所があいて寝れるようになった、意識を失ったかのごとく寝てしまった。でも目が覚めてもバスの中なんだけど・・・こんなバス旅はもうないかな・・・





 ベットはないし、トラックとはぶつかるし、パンクはしょっちゅうだし、
当て逃げして相手に追いかけられるし。

 とても辛い移動であまり写真を撮れてないけど、ちゃんと自分の中にはバスの中から見た綺麗な景色は頭に焼き付いてる。
アリまでの途中にいたチベタンの若い女の子達
 
 チベットの女性達は強い紫外線のせいで老けているように見えるが実際はかなり若かったりする。この子達もそうだけど化粧なのか日焼け止めなのか分からないが顔が真っ白のチベタンがいる。
 このとき遠くからとことこ寄ってきた女の子2人組、中国語をまったく理解できないが、年齢的に結婚前の一番ピチピチしている年頃なのは分かった、おしゃれも念入りにしているし、カッコイイ男が迎えにくるのを今か今かと待っている感じだった。どこの国もそうだけど年頃の女の子はきれいなもんだ。
トイレはそこらへんで
 中国を旅をしていると、あまりの国土の広さに公衆トイレなど無く、そこがトイレになると言う事があり、それに慣れる必要がある。影になるようなところがあればいいが、実際はそうもいかない平原でする必要がある、恥なんか捨てなければおもらしをするか、膀胱炎になって病院に担ぎ込まれるかのどちらかでしかない。
 人生でこんな気分のいい立ち小便があるだろうか、そういう魅力もある。中国のトイレはこれになれるためにみんなで尻を出してトイレをするのか・・なんと合理的な。
 実際に女の人も隠れてできないので尻を出してしているのを見た事があった、女性はズボンだと少し恥ずかしい。
だけどチベット人たちは服の特徴を生かしてどこでもトイレ行き放題な訳だ。
 だからお坊さん達がしゃがんで道端で瞑想をしているのかなと思って見てみると足の間あたりから液体が・・・悟りの境地に入って幸せそうな顔で聖水を出しているわけではなく、単にトイレをした後の開放感に浸っているだけということだったりした。
 大自然で開放的にトイレをしたいのなら中国へ、下手をすると街中でも可能です。そういう趣味の方はどうぞ。



  これも休憩です。座っている人はただ座っているだけです。

 いくらなんでもこんな至近距離ではしません。

 ただこの自然の美しさには驚くばかりです。
中国人の友達とアリ
 アリへ向かうバスの中に明らかに雰囲気の違う中国人が3人いた、彼等は途中の休憩の時間にキュウリをくれたり、同乗のイギリス人カップルが困っていたら片言の英語で助けてあげたりと親切だった。
 52時間の長旅を切り抜け何とかアリに到着、へとへとなのにゲストハウスを探さないといけないと思っていたら、イギリス人のカップルが話し掛けてきて、一緒に宿まで連れて行ってくれないかと言う、嫌だとは言えないので予定している宿の名前を告げてココでいいなら着いて来たらと言ってあげていたら、その3人組の中国人が私等に着いて来なさいとタクシーまで手配してくれてタクシー代まで出してくれる、大きなホテルに着くが、初め聞いていた値段と違う。それで中国人2人が電話をしていろいろ宿を探してくれた。ホテルが決まり行くとホテルのスタッフから白人の2人は明日パーミットを取りに行くのかと聞かれパスポートナンバーや何か必要な書類を書いていた。僕等はパーミットなど取る気もなかったので僕は一切話さずミンス―だけ話して中国人で通すつもりが中国人でも人民登録カードを提示しないといけないけど持ってない、機転を利かせてくれた中国人は彼等のうち一人のカードを僕のものだということにして登録をしてくれた、おかげで僕等は中国人のままで泊まる事ができた、でも次の日宿を安いところに変えるため宿探しに出発する時も僕等の荷物を預かってくれて親切な人達だった、彼等とはホテルを変わってからも毎日遊びに行ったし食事も彼等のおごりで食べさせてくれた。
 彼等はテレビ機材のセールスマンで、女性はマネージメント担当で2人の男性は技術者だった。アリのテレビ局に機材を売りに来ていた、ソニーやパナソニックなどの機材に詳しかった。
 結局彼等とは僕等がカイラスなどを回ってアリに帰ってきた日に入れ違いでアリを出発していて会う事ができなかった。

本当にいい人達だった。


 他のアジア諸国の人達と違い中国人はお世辞にもフレンドリーとは
言えない気がする。でも中国人は他人には冷たいが少しでも仲良くなると家族同様に扱ってくれたりする。たしかにこれだけ人口が多いと人に対してあまりに無警戒にニコニコいい人というのは難しいのかもしれない。でも都市部の人達は意外と親切でいい人が多いので驚く事がある。
チベットには木がない&京都議定書
 チベットには木が生えてない、ここら変に木があったのかすら分からない、もともとチベットには原生林が多くあったらしいいが、それを中国は輸出してお金に変えてしまった。ひどい事をすると思うが、最近ようやく温暖化対策の京都議定書が批准されてからチベットにも植林が行われるようになっている、アリの町の周りにも物凄い数の植林が行われている、中国に関する温暖化対策でチベット自治区に植林をするようにという話があったのだけど、それが実行に移されている。日本から送られた苗木だと聞いたが本当だろうか。
 いま中国では木の無許可の伐採などが厳しく取り締まられている、近い将来もしかすると緑豊かなチベットが見れるようになるかもしれない。植林はしたが管理をしないなら枯れてしまうから。

 しかし、聞いた話ではチベットにあった木は輸出もされたが、漢民族のいるエリアに移し変えられたと聞く。なんでそんなひどい事を中国人はするのかな?
 昔の中国に出兵していた兵隊さんがよく話す事に中国には木が無かったという話があるらしい。刈り尽くす、言い方は悪いが今までは後先考えなく採ってしまうのが中国式であり石油の価格が上がったりするのも中国が国内の需要に対応するため輸入を増やしたからという。この中国が1人政策をしていなかったら中国人に地球は食べ尽くされるのではと正直感じる。ただこの国も、最近気がつき始め環境保護の対策をするようになりつつある。もう少し少数派の人達の事考えた方がいいのではないですか?中国人の皆さん。
カイラスへの道は死と隣り合わせ
カイラスへ行くにはその出発地になるタルチェンに行かなければならない、行く方法としては金に糸目をつけないのならば正規のバスやミニバス、ランドクルーザー等のヒッチハイクがあるが、僕等はお金が無い貧乏旅行なのでトラックのヒッチハイク1本に絞って道路に座って待つ。でも待てども待てども捕まらない、アリからタルチェン方向に行く車は朝の午前中がほとんどで、それが捕まらなければその日に出る車は無いと考えてよかった、なぜなら次の町まで半日以上かかるからだ。結局2日待って3日目に途中の門土というところまで行くトラックをヒッチできた、荷物を溢れるほど積んだ荷物の上だった、すでにチベット人3人の先客がいた。トラックは初めの30分ほど順調に1本の進んでいたけどなんだか途中からおかしくなり最終的には止まっては待ってまたエンジンをかけてというのを繰り返すようになった、そのうえ走り出しても歩いた方が早いスピードしか出ない・・ただ、ここまで来るともう引き返す事も出来ないし、車も1時間に1つ来るか来ないかで、それも昼過ぎくらいになるともう来なくなる、なんだか嫌な予感をひしひしと感じながら時間が流れる、音の無い世界にエンジン音と風の音だけが聞こえる。まるでこの世の果てに来た気持ちがした。
 ちらほらと雪が降り始めるし、なかなか前に進まない事をいらいらするのも飽きてきて寝る、道が舗装道路から土に変わり揺れるので目が覚めた。途中途中で地図を広げて同乗のチベット人に現在位置を聞く、ほとんど前に進んでない事に驚きながらも、このスピードでは今日中に着けないよなともう諦めていた。しかし日がだんだん沈んでいくと、やばいのでは・・・と思い出した、標高が高いので日差しが強いのだけど日が沈むと寒いのだ、それも真冬に外に薄着でいるような寒さだ。着れるものは全部着ても寒い、日が完全に沈んだらどうなるのか・・・そう思っているとトラックは小さな集落の茶館に立ち寄る、茶館とは字のごとく茶を飲む事のできるチベット式カフェとでもいう感じのところだ、そこでは泊まる事もできるので僕はここに今日は宿泊するのだなと思っていた。食事などもチベット人の習慣なのかもしれないがドライバーが乗せている客の分をすべて出してくれるチベットのバター茶を嫌だというほど飲まされて、もう限界だと思う頃に、ドライバーが出発だという。外に出るともう日は沈む寸前で気温も恐ろしく下がっている、マジかよと思うもきっと次の町まではそんなに無いのだろうせいぜいあと5時間くらいかと思っていた、車も気温が下がったおかげで調子が幾らか良くなり順調に走り出したのですぐに着くだろうと考えていた。しかしそれが本当に甘い考えだった事は少ししてからすぐに分かった、調子よく走っていた車もスピードが落ちその上ゆれが激しく何度も落ちそうになる、寒さで手痛くなるのでポケットに手を入れて横になっているのだけど突然体が跳ね上がる、この高さから落ちれば大怪我どころではすまないかも知れない。日は完全に落ち辺りは音の無い真っ暗闇になっている、待てども待てども次の町の明かりすらも見えず頼むから早く着いてくれと祈るしか出来なかった。かなり寒くなるとチベット人たちは持ってきていた寝袋を出して中に入りだした、彼等はこういう事態になる事を予測していたのだった。僕等はアリで寝袋を購入しようと考えていて、結局手に入らなくて何も持っていない状況だった。寒さは限界に近づきあまり話すことも出来ない、着れるものもすべて着てるのであとは体を小さくして耐えるしかなかった。途中集落の明かりが見えてきたのでやっと着いたかと思ったがそこも休憩に寄っただけだった、トラックはまたそこを出発した時間は23時位だった。
 信じられない事が起きた、トラックが坂道をなかなか登ることができなくてどうにか乗り越えたのだが、その上で止まってしまったのだ、車を修理するかと思いきやドライバーが今日はここに泊まると言い車の中に入ってしまった・・・、車内に入れればいいが、中にも客がいるので入れない。寝袋を持っていたチベタンが毛布を1枚貸してくれるがほとんど意味をなしていない、ミンスーと2人で体を寄せ合って毛布をかぶるがまったく効果が無い、寒さが限界を超えたのか体が振るえて止まらなくなった。
 そんな状況でふと空を見上げると360度の星空が広がっている、こんなに空には星があるんだと思うほどのすごい数で地面の低い位置まで星がきらきらと光っている、僕の実家も田舎だから星がよく見えるのだけど、当然比べ物にならなかった。次の町の明かりも見えないこんなに開けた場所でさらに標高も富士山以上の高さでまったく音が無い世界で見る星は、星を見ているというより宇宙にいる気がしていた。たぶん宇宙という表現は間違ってないと思う、真っ暗の世界に地平線のところまで星が広がっている、本当に手を伸ばすと届きそうな気がしたくらいだ。寒さで体の感覚がなくなり始め、だんだん星を見ていると吸い込まれていくような感覚になり意識が薄くなっていく・・あー死ぬかも知れないなと初めて思った。
 寒さには女の方が強いと聞くが多分本当だ、ミンス―はしっかりしていて僕の体を温めようとさすったりしてくれるが、それくらいでは僕の体は温まらない。いつのまにか意識が無くなっていた、でも死んだわけではないこうして文章を書いているので。体が強打された痛みとミンス―の悲鳴で目が覚めた。何が起きたか分からないが必死にミンス―の体を抑えていた、死んでは無かったのだが寝ている間に車が出発していてタイヤが大きな穴に入ってしまい僕等の体が宙に浮いたのだ、ホロを固定するフレームに顔面を強打しながらどうにか乗り切った、死んでなかった事にほっとしながら激しい揺れに耐えていた。時計を見ると5時30分だった、もう少しすれば日が昇る、早く太陽よ昇ってくれ・・。
 どうにか朝の7時30分ごろに目的地の門土に到着した。死にそうになりながら家に入れてもらいストーブに当たらせてもらう。ラーメンも食べ何とか体力が少し回復した、ここからタルチェン方向の車をヒッチしなければいけない、僕等はこの町を出て轍の上をタルチェンの方向に向かった、でも水気の無い乾燥した世界が広がる。あまり歩いて引き返せない所まで行くと危険なので町が見える状態のところまで進んでそこでで車を待つ事にする。ここからも辛かった、朝一番にトラックが来たけど足元を見やがってありえない値段を提示してきた、つぎの車にしようと言って待つ事にした・・・・・しかし待てども待てども逆からの車は来るが僕等の行きたい方向の車が来ない5時間に1本だった、僕等が持っていた水もなくなりかけ、傘をさして強烈な日差しから逃げるが、あまり効果を得なかった。結局夕方の5時前になっても車は現れない、もうムリだから集落に戻ろうとするがそこに行く気力が無い、このタルチェンまでの移動ほど死というのを身近に感じた事がなかった。
この後1台のランドクルーザーが来たので駄目もとで交渉したら予想より安く乗る事ができた、こうしてタルチェンに向かう事ができた。しかしここからタルチェンまでの道のりもただ道など無い平原を突っ走るのだけど河を車で渡ったりする。
 大変だったけどタルチェンに向かうまでの景色がものすごくすばらしくて、苦労した分なんだかものすごい場所に来た気がしてうれしかった。じじつあの辺りの風景は見た事の無い光景だった。こうしてタルチェンへ着いたのでした。



 荷物を載せすぎてこんな高さになってしまった。

 落ちたりしたら大怪我だ。


 トラックの上からの動画は
こちら、トラックの遅さに笑ってください。
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カイラス
 カイラス、この言葉にはずっと憧れていた、そこに実際に僕が行く事ができるとは思いもしなかった。すべては運だけでこんなにも簡単に夢がかなってしまった。最大の目標だったカイラスを自分の目で見ているのは変な感じだった。
 カイラス山は仏教やヒンズー教の聖地だ。ここが聖地だと言われる理由もこの周辺の風景と、カイラス山だけ雪が積もっていることなどを見ると分かる気がする。インドやネパールからも巡礼ツアーがあって大量の人々がこの山の周りを巡礼していた。カイラスの周辺は天気が変わりやすくカイラス山が雲に隠れて見えなくなる事があるのだけど、僕が行ってる間は1度も雲に隠れる事は無かった。




カイラス×4
コルラ
 コルラというのは聖地と呼ばれる場所の周りをくるりと回ることをいう。巡礼なのだが、僕等外国人にとってみればトレッキングだ。山の周りを大体2泊3日くらいかけて回る、インドからの巡礼者やチベタン達が巡礼をしているのに混ざって外国人たちはトレッキングを楽しむ。途中ドルマラ峠という峠を越えるのだが標高が5300Mの所を越えるわけで酸素が足りない上にものすごい坂を登らなくてはいけない、地獄なのです。でもそこを乗り越えるとあとがものすごく楽に感じた。
 どちらにしても岩のごつごつした標高5000Mくらいを56KMも歩くのは結構シンドイ・・・。
 でも途中にプレーリードックがいたり流れる河の水が青かったりピンクだったりと楽しみながら進めるし、途中でチベタンに乾燥ニンニクをもらったりとコミュニケーションを楽しみながらというのも良かった。ここまで来ると中国語を理解しないチベタンが増えミンスーより僕の方がチベタンとコミュニケーションをとることができるようになりちょっとうれしかった。




 左上から途中の宿の主人と子供達、ほとんど中国語を理解しないので僕が覚えたチベット語でコミュニケーションをとる。

 インドからの巡礼者の荷物をヤクに乗せて運ぶ、チベットではヤクは
肉にもなり運搬手段にもなりフンや毛は無くてはならない。とても重宝されている。

 標高が5000Mを越えるともう雪が常に積もり氷になっている。
忘れられない風景
 僕が今までで見た風景で忘れられない場所はどこかと聞かれたら間違いなくカイラスからマナサロワール湖に行くまでに見た風景だと答えると思うし、もしかするとこの先それに匹敵するものに会えないのではないかとも思う。それくらいここで見た風景は頭に焼き付いて離れない。これを見られただけでも旅に出てよかったと心底思っていた。
 僕等はカイラスからバルガという検問所のある集落までランクルをヒッチしそこからは車が来ないのでとりあえず轍の上を歩いて地平線に向かっていた。広い平らの地面が広がるこの辺の地形はどこまでも地平線が広がり、僕等の頭上には手を伸ばせば触れるような大きな雲と青すぎる空が地平線の向こうの方まで広がっていた、ここが世界で一番高いところなんじゃないかと思えるくらい雲が僕等の周りを覆ってる。本当に幸せだった。チベットはなんて素晴らしいところなんだろう。





 動画はこちら
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マナサロワール湖と温泉
 マナサロワール湖もカイラス同様に仏教とヒンズー教の聖地だ。ここの周りも同様にコルラをして水を飲むらしい。
この湖も世界有数の高地に存在する湖だ。ここは空の色が湖面に映りその日の天気でいろいろな色になる。とても綺麗だ。この湖の側には岩山の上にお寺がある、一見お城のようだけどお寺だ。
 湖の周辺には温泉が湧き出ていてお風呂に入る事ができる、ただ入る事ができるが恐ろしく湯の出る量が少なく溜まるのに時間がかかる。そして緑のこけ?ワカメみたいなのが出てくる、害は無いと思うが・・。ここでチベタンも体を洗っていた。そしてこの温泉の裏手にはただで利用できるところがあるのでお湯で顔を洗ったり洗濯したりできる。
 宿もあり食事も作ってくれる、米が意外とおいしくいサービスで余ったのをタダデくれたりする。場所的にもカイラスが見えてとてもいい場所だ。
マナサロワール湖には魚もいてそれも食べたければ食べる事ができる。魚がいるだけでも驚きだけど、ここの魚だけが持っている特徴がありのどの奥?に歯らしきものがある。とても興味深い。


プラン
 マナサロワール湖からさらにネパールの方に向かうとプランという町がある、ここもグゲ王国と同じで昔王国があった場所だ。遺跡があるし文明大改革で壊された巨大な寺院の跡もある。今では小さなお寺が修復されている。
 ここら辺は昔からネパール人たちとの貿易が盛んで岩肌に穴を掘ってホテル代わりに使っていた穴がたくさん開いていて、いまだに人が住んでいたりお寺があったりする。
ここら辺のチベタンは雰囲気が少し違って、頭に変な頭巾を被っている。
 プランの町からさらにネパールの方に行くと科加寺というお寺がある、ここ自体はたいした事は無いが、そこに至るまでの風景がとても綺麗だった、黄色の花畑が広がる不思議な光景を目にできる。
 あとここら辺は昔海の底だったと言うのを学習できるくらい化石が落ちている、実は僕も見つけて日本にもって帰った。
アンモナイトの化石だった。


 グゲ遺跡までの長――――い道のり
 プランからツァンダへの分岐点のナムルにたどり着いた、理塘出身の夫婦がいる茶間に泊まり、つぎの日朝早くにアリからツァンダに向かう郵便トラックを捕まえるために座ってひたすら待つ、8:20分くらいに来るが先客がいて泊まってくれもしなかった。そのあと2台通るが乗せてはもらえなかった、その後PM2:00を過ぎると車がまったく来なくなった。これがツァンダへのヒッチが難しいと言われるわけかと思いながらひたすら待つ、時間なんか考えず座って日本の事を想像したりするけどなんだか自分の今いる場所からすると日本なんてまったく違う世界にある気がして不思議な気持ちだった。途中僕等と行動を共にするようになる中国人2人がアリからのトラックに乗ってきて僕等の先の方で座って同じように待っていた。
 4時くらいに2台のトラックが来る、このトラックは100KMくらい行くと違う方向に行くらしいが、これを逃すと前に進めない気がして途中まで行く事にする、先ほどの中国人旅行者達も乗り一緒に行く事になった、車の座席に運転手とその補佐が2人と旅行者2人の4人づつ2台に別れて座る、僕とミンス―も別れて乗った。車に横向き4人並ぶとどうなるかというと、ギヤのチェンジの所を一人がまたぐ形になる、それでギヤを変えて2速に入れるたびに変な動きをする、さらにそこに座る人間が寝てしまったりすると体がずれて腰が落ちると、ドライバーは2速に入れるたびに股間ごとぐっと手前に引くのだ、引かれた方としてはビックリである、しかしまた眠りに落ちギヤが変わるたびにおお・・というような変な動きをする、それがおかしくて笑いつづけていた。この移動も凄いもので、山に作られたがけぎりぎりの道をトラックがどうにかすれ違うのだ、怖いなんてもんじゃない、少し端が崩れるならがけ下に転落間違いない状況だった。
 トラックが分岐点につくとそこはチベタンのテントが2つ建っている場所だった、ここで僕等はツァンダへ向かう車を再ヒッチする必要があった、しかし車は来ない、交通量が少なすぎなのだ。結局ぼくらはテントのあるその場所で1日に2−3台の車をひたすら待ちつづけて2泊と半日以上その何も無いところに滞在した。滞在している間中国語の勉強と、チベット語の勉強をしたり、羊を1頭つぶしていたので、肉をキロ買いして塩湯でして手でムシャムシャ食べたり、秘蔵のチベタンヨーグルトを食べたりして、それなりに楽しかった。その近くでは遊牧をしているチベタンの家族がいてその中の青年が羊を管理するために石投げ機を持っていた、パチンコとかではなくて羊の毛で編んだ1Mくらいのひも状のものだ、その先に石を挟むと頭上で振り回して投げる、いやビックリした、ホースを振り回したようなウォーンウォーンという音がして石を投げるとヒュ―ンと音を立てながら飛んでいき狙いどうりのところに飛んでいく。飛距離が凄いし威力もすごい、戦争で使われたというが、当たれば確実に死ぬ。聖書の中に羊飼いの少年がゴリアテという大男にこの石投げ機で石を投げ額に当てて殺したらしいが、小さい頃当たり所が悪かったんだなと思っていたが、こんな感じなら100%死ぬと思った。いまだにパレスチナで投げたりしてる映像を見るけど、あれは凄い武器だ。いや勉強になった。
 そんな感じで楽しみながら退屈な時間をどうにかつぶす。2泊し3日目もまた駄目かと諦めかけた時軍隊のトラックの集団が通りかかった、彼等に交渉してタダで乗せてくれる事になった。こうしてどうにかツァンダへ行く事ができたのだった。ミンスーたちが軍隊の車に乗るときに日本人だとばれないようにしろと言うがそりゃ無理な話だ、その上1人で乗らされたし。ばれても問題はまったく無かったけどね。ただここからツァンダは絶対自転車なんかじゃいけないと思う、その環境に命の危険を感じた。自然は雄大です、人間が無謀にも挑戦するときっと痛い目に遭います。




 いろいろとツァンダに行くには困難が多いけど西チベットに行くならグゲ遺跡には行った方がいいと思う、景色に驚かされるから。お金のある人はラサでツアー組んでもいいだろうし。そしてできるなら歩いて遺跡までいくのがベスト、たいした事無いから。

 ただ僕等は西チベットで日にちはかかったけどかかった金額はめちゃくちゃ安い、ツアーを組むかどうかは人それぞれだけど、ボッタクリだねあれは。
 
僕は何もしてないからあまり偉そうな事言えないんだけど、ミンス―の交渉能力のおかげだからね・・・。

グゲ遺跡
  グゲ遺跡とは
 ツァンダの町からグゲ遺跡まで18KMを日差しの弱い朝に出発して、てくてく歩く。カイラスの周りをコルラしたり、酸素の薄いところにずっといたので標高が低いツァンダでは体がものすごく軽く軽快にグゲ遺跡までいけた。ただグゲ遺跡そのものというよりアジアのグランドキャニオンとよばれるここら辺一体の風景に目を奪われかつ音の無い世界を自分の足音だけ聞きながら前に進むということのほうが頭に焼き付いている。なんと言うのだろうかそこらの山がすべて遺跡に見えるような不思議な形をしていてそれがどこまでもどこまでも続く、しばらく歩くとこんな乾燥したところにどうしてこんなに水があるかと思うような大きな河が流れている、水によって削られた大地はこの世のものとは思えなかった。 歩いていくと厳しい環境のせいだろうか牛が死んで骨になっていたりする。こんなところに王国が本当にあったのかと思うような場所だ。
 4時間30分歩きつづけグゲ遺跡へ、この遺跡のある立地とその周りの風景これは見ていてよかったと思える凄いものだ。
今は廃墟でしかない遺跡もかつては大きな力を持った持った国家で、緑豊かだったんだろうなと一人想像していた。
現在では確かに乾燥していて人がすむには適していないような気もするが今でもいたるところで湧き水が溢れ、お城の下は湿地帯になっているのを見たりするとその繁栄も簡単に想像がついた。
 僕は中に入ったり城の反対側に行きたかったが、中国人2人とミンス―はそうでもないみたいで周りの風景をみて満足してから同じように身にきていた軍隊の車にただで同乗させてもらい、帰ると言い出す。なんだか風景でお腹いっぱいになったので僕もそれについて帰った。
 チベットのいろいろな風景を見たが、こんな風景を地球上のほかの場所で見る事ができるだろうか?聞いた話だとチベットにある風景のほとんどはここでしか見る事が出来ないらしい、地球上にこんな標高の高い場所はないからな・・
 チベットで見た風景は今でも目に焼きついていて簡単に思い描く事ができる、本当に貴重な時間をチベットで過ごしていたんだな・・。





 音が無い世界というのを僕は知らなかった、日本ではどこに行っても
木の揺れる音や風の音、水の音というのが必ず聞こえるけど、ここチベットとくにこのグゲ遺跡に向かう間は本当に音が無く、自分の吐く息の音と歩く音しかしない・・・・。 

 このチベットを旅をすると綺麗な風景に心を奪われるけども、それとは引き換えに孤独感に襲われるらしい。カイラスを1人でコルラした人とかは孤独感が辛かったという人に会った。

 もし一人で音の無い所を歩くとこの世には僕しかいないのではないかと思ったかも知れないな・・。
出チベット
大きな夢だった西チベットに入り、カイラス、マナサロワール湖、プラン、グゲ遺跡と見て回った後に僕等はアリに帰ってきた、見る事の出来ないと思っていた場所を歩いて見て、ものすごい達成感だった。もうウイグル自治区に向かうがなんだか名残惜しいというか寂しい気持ちでもあった。こんなに順調に夢がかなっていいのだろうか・・・・。
 アリからウイグル自治区に向けてはバスが運行しているが、決まった曜日にアクサイチンが軍により通れなくなるので実際に出発する日は不定期で1週間に1本とかだった。そのため僕等もトラックヒッチでカシュガルまで行くかとか考えたが結果はバスを利用する事にして1週間つぎのバスを待つ事にした、ビザが切れかけカシュガルで延長したいので早く行きたいのだが、そうもいかず、アリに無駄に滞在したのでした。アリは物価が高くあまり贅沢は出来ないけどおシャワー屋もネットカフェもありどうにか乗り越えてた。そして出発の日寝台と聞いていたのに迷彩柄のバスに乗せられ、2泊3日の道無きところを走りつづけ、途中綺麗な風景に目を奪われながら内容の濃い2ヶ月というチベットでの時間を振り返りながらウイグル自治区へと向かった。
ラビットマン
 中国人には生野菜を食べる習慣が無い、でもそんな中初めてバスの中でカバンの中から玉ねぎやらにんじんやらねぎなどを出してはカッターで切りパンにはさんで食べている人を発見した、彼は終始ニコニコしていて不思議な雰囲気のおっさんだった、中国に長くいるミンス―はこんな生野菜をバリバリ食う中国人は初めて見たと面白がっていた。その上おっさんは野菜を食べる時本当に幸せそうな顔をする、僕はおっさんのことが気に入り幸せそうに食べるおっさんを2泊3日の移動の間観察していた。ミンス―はおっさんのことをラビットマンと名ずけ、勝手に病気だと診断を下していた、そんなに中国で生野菜を食べる事はありえないのか?わからないけど。
 このおっさんが面白いのは2日めの宿に泊まり出発の朝、荷物をバスに乗せているのに出発の時間になっても来ないのでバスはこのおっさんの荷物だけを乗せて出発した。アクサイチンの検問で車が進めない間におっさんは追いつくのだが、乗り遅れた理由が山の上に朝日を見に行っていたという理由だった。雪を手に取り幸せそうだし、湖を見たときも眼が輝いている、こんな中国人を見たのは僕も初めてだった。
 韓国人は探検家?
 チベット情報は韓国人に聞けと前にも言ったが、彼等はチベットで日本人達よりもスリルのある旅をしている人が多いのだけど西チベットで実際に会った人達は強者ばかりだった。
 チベット自治区からウイグル自治区の間は本当に自然が厳しい上に集落も無い、実際に行方不明者が出るくらいだからそこを自転車や徒歩で移動するのはかなりの準備と経験が要求されると思うし、僕個人で言うなら今の僕には無謀としかいえないと思う。しかし、そこを自転車で走り抜ける奴等がいる韓国人だ、確かにチベットを横断というのは日本人でもたまにいるけど韓国人の数には及ばないのではないのか、また彼等の計画はチベットを横断し青島まで自転車で行くというものだった。僕は西寧からゴルムドまで列車で移動する時に窓から見える風景を見て死の世界だと感じていたし、ここを人が人力で横断するなんて想像もつかなかった、ゴルムドからラサまでの移動も同じだった。
 徴兵で鍛えられた精神力や肉体はそれらを可能にするのかもしれない。
 アクサイチンなどの軍事的色合いが強いところを自転車で走破し、軍隊に捕まるかもしれない危険は彼等にしてみればたいした事では無いようだった。時々ラサで旅をしていたスペイン人が中国軍に撃たれたとかいう話が流れて日本人達はマジかとそれを信じるのだが、韓国人たちは俺等がそうなるとは限らないとその反応の仕方があまりに違う。興味深かった。実際それを信じて僕は韓国流で行ったが、隠れたりせず普通に行動していたが一度も検問にも引っかからず公安に声もかけられなかった。
 僕が一番驚いたのは人は、そのウイグル自治区からチベット自治区を1人徒歩で歩いている韓国人を見たときだった。彼の事をみたチベタン達も呆れていた。彼等は単に恐れを知らないバカか、恐れに挑戦する探検家のどちらかだと思ってしまった。宇宙開発が進んで星なんかの未知の探査には韓国人を送り込めばいい。
 ただそんな彼等でもカバンの中にはキムチとチューブのコチュジャンが入っていた。これが無いと力が出ないんだと・・。


 


 アクサイチンの入り口の検問所で6時間足止めされていたときに
逆から来た自転車横断している若者達がミンス―にインタビューをしている。彼等は6人位のチームで横断していた


 ミンス―がなぜこんな変な頭をしているのかは終始謎で、そういうセンスの無さがしんどかった。
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TIBETを旅して
 もともと旅に出た大きな理由がチベットを見たいからというのものだった。昔から興味があったが実際にそこに行けるとは思わなかった。ただいろいろと旅について調べる時にチベットには意外と簡単に行ける事がわかり、行きたいという気持ちが自分の中には燻り続けていた。そんな中で旅行者達の情報でゴルムドからラサまで鉄道を引こうとしている、エアポートをカイラスの近くに建設しようとしているという情報を見るたびに早く行かなければ何かが変わってしまうという焦りが僕の中に生じていた。中国がチベットにしている事は知っていたし、それらの効果がそろそろ表れ始めたのも分かっていた。
 いろんなきっかけが重なりチベットへ向かおうと思い立った。そうして旅に出たのだった。
 2ヶ月という時間をこのチベットで過ごした。当初の予定ではシガツェ止まりだったのがあれよあれよと西チベットまでの道が開いた。僕が西カイラスに行く事ができるのはもっと、先だと思っていた、でも不思議な引き合わせでそのチャンスを簡単に手に入れ行く事が出来た。でも本当に今のチベットに行く事ができて良かったと思う、中国の人の多さや中国のやり方を考えると、ひとたび鉄道が開通すると、あっという間に中国人が流れ込んで、町は中国化されると思う。良かった行けて本心でそう思う。
 チベットは本当に美しくその文化もとても興味を引かれるものだった。すべての事が新鮮で飽きることが無かった。ただふとした瞬間に悲しくなり、腹が立ち、無力感にただ呆然とさせられたのも、この同じチベットだった。世の中にはいろいろな人がいていろいろな思惑が渦巻き、それが激しくぶつかる。その犠牲になるのはいつも罪の無い人々だ。
 綺麗な風景の影には必ず大きな傷跡が残っている。それらの傷跡を見るときに少しでも痛みを感じることができるならば変わる事ができるだろうけど。いつその時が来るのか・・
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