----------------------------------------------------------------------------------------------

----------------------------------------------------------------------------------------------
kRoute of Cambodia
2004.02.05
  タイのカオサンロード⇒カンボジアのシェムリアプ(SHIEMREAP)へ

02.14
  シェムリアプ⇒カンボジアの首都プノンペン(PHNOM PENH)へ

02.19
  プノンペン⇒カンボジア唯一国際貿易港でありリゾート地?である
シアヌークビル(SHIANOUKVILLE)へ

02.21
  シアヌークビル⇒プノンペンへ戻る

02.26
  プノンペン⇒ベトナムのホーチミン(HO CHI MINH)へ、サイゴン(SAIGON)とも呼ばれる
陸路で国境越え
  日本という島国に住んでいた僕にとって国境なんてテレビや本でしか読んだことの無いものであり,漠然としたイメージしかなかった。そのイメージも映画なんかで兵隊が「止まれ!止まらなければ撃つ!!」とかベルリンの壁の話とかなんとなく怖いイメージしかなかった。ただ僕の住んでいる町には航空自衛隊の基地があり、その入り口の雰囲気に似てるのかなと思ったりもしていたのだった。
 そんな僕がはじめての国境越えをしようとしてる、その上僕の乗ったバスには人はかなりいるのに日本人が1人もいなかった。不安ですかと聞かれれば120%で不安だと答えたと思う。
 タイのアランヤプラテートからカンボジアのポイペットという国境だった、バスはタイ側で止まりバスを降りそこからボーダーまで歩く。、するとバッと子供達が僕等を囲み物乞いをはじめる。タイでもその光景は見たが、何かが違う・・周りを見てみると建物にしても人々にしてもそうだ・・国境地帯は治安が悪いと聞いていたけど・・さらに緊張感が体を包む。そのとき片言の日本語で「注意してください、ここの子供達は泥棒です」という声が聞こえてハッと顔を前のほうにやると僕のサブバックの中に手を突っ込もうとしている6歳くらいの男の子がいた、パッとその手を払うとその子は僕の顔をじっとみて何かくれというそぶりをする、僕は持っていた飴をあげるとその子は、ものすごい速さで口に入れた。他の子もそれを見て飴をくれという、持っていた5つ位の飴を子供たちにあげた、皆同じで飴をものすごい速さで口に入れる、周りの子に奪われるからだった。さっきの声のしたほうを見るとバスに乗ってたカンボジア人の添乗員だった。日本語話せるのかよと思いながらそいつの後について国境に向かう。途中で別のバスに乗ってきていた日本人数人と会い一緒にボーダーに向かう。その中に世界一周をカンボジアとベトナムで終了するという夫婦にあった、その人たちといることでなんとなく僕の不安も薄らいだ気がした。
国境前の建物にはバックパッカーたちの列ができなかなか前に進まない。日本人の夫婦に旅のことをいろいろ聞いたり、国境を越える信じられないくらいミネラルウォーターを乗せたトラックを見たりして時間をつぶしていると僕の番になった。パスポートを出してそれで終わりだった、何も言われなかった。タイ側の出国手続き、カンボジア側の入国手続き、両方とも緊張したのが馬鹿らしい拍子抜けするような単純なものだった。 何事も期待しすぎはいけない、程々がいちばんなのです。こうして記念すべき、はじめての国境越えが終わったのでした。




 ここに来て物乞いの人達に変化があった、写真の手前側の座っている男性もそうなのだが足が無い人が多いのだ。
年歳的には30-50位の男性がぐっと増え、その周りでは実の子供が遊んだり、父親の手伝いをしたりしている。
 
 そうここカンボジアは内戦による地雷がまだ数多く残っていて、その被害者が働けなくなりこういう物乞いをしている場合が多いのだ。
国力
 カオサンロードからタイ側の国境まではバスも2階建てトイレ付豪華バスだった。道路もきれいに舗装され快適だった。
 タイという国は東南アジア諸国の中では先進の国のひとつであり、世界的にも後進国ではないと思う。町なかにはセブンイレブンもあれば世界の一流企業のオフィスもある。
 しかし国境を越えたその場所からカンボジアが貧しい国だという事が良く分かる。まずカンボジア側に入ったとたん道が舗装されてない赤土に変わる。車もタイ側では新しい車も目にしたが、カンボジア側では中古の中古といった感じのおんぼろに変わる、国力の差だ。
 この風景は島国で育った人間にはびっくりすると思う、広い海ではなく、国境と呼ばれるこのラインでまったく違うのだ。しかし人はそこを行ったり来たりしている。
国境からシェムリアプへ
 国境を越えてカンボジア側でバスを乗り換えた、タイ側の豪華バスとはうって変わり、韓国の中古車だった。中古車と言っていいのか・・正確にはかろうじて走る車みたいな物と言っておく。
 僕の選んだ席は自動リクライニングシートだった、はっきりいえば壊れていて背もたれに体をあずける事ができないのだ。車は走り出すが道には大きな穴がぼこぼこと空いている、体は中に浮いて天井で頭を打つ。エアコンなんて機能しない、しかし土ぼこりでバスの中が見えなくなるので窓も開けれない。
 このバスは韓国の中古なのでシートの間隔はアジア仕様で狭い、でも僕の体も小さいので普通に乗れた。ヨーロッパ人は体がでかいためシートの隙間に挟まっている感じだ。そんな状況でお菓子をつまむ西洋人を見ていると檻の中のゴリラとしか思えなかった。
 道には中央線など無く対向車とすれすれですれ違う、同じ穴を避けるために車はチキンレースのような状態になる。何度もう駄目だと思った事か・・さらに日は暮れてくると穴の位置がわからずドライバーが急ブレーキをかけたりする、対向車との距離も分かりにくく本当に危険な移動だった。道の側にはひっくり返ったトラックなどがあったりする。聞いた話だとカンボジア人がトラックをヒッチし乗って移動中に車が横転し、荷物と一緒に死体が転がっている事が良くあるそうだ。
 こんな地獄を10時間以上移動したのである。
アンコールワット遺跡群
 僕は昔から遺跡が大好きだった、この旅の大きな目標の一つが遺跡を見て回る事だった。インディージョーンズに憧れ
古代の遺跡の不思議な時間をさかのぼるような感じが大好きで、レンタルビデオやテレビ番組を選ぶ時には遺跡というタイトルに弱いのだ。その中でも密林に覆われた遺跡というイメージはアンコールワットが僕の中では一番強かった。 実際に目にした時はやっぱり度肝を抜かれびっくりした。確かに観光客も多いがそんなのは気にならないくらい遺跡群存在感はすごいものがあった。僕は1WEEKのパスを購入して存分に楽しんだ。遺跡の彫刻などを楽しんだ後、夕暮れ時まで遺跡のてっぺんの方で何時間も座り、いろんな想像をし一人タイムスリップをしていた。褐色の大地に生える木々と野生の動物の鳴き声それらを楽しみながら夕日が大地に飲み込まれていくすばらしい光景を毎日遺跡を変えながら楽しんだ。これらの遺跡群を日本にいる家族や友人に見せてあげたいと写真のシャッターを切るが、あまりにも大きくてどう撮ればいいのか分からなくなって途中から撮るのをやめた。
 遺跡群の間を自転車で移動するのだけど、その移動時間も通る場所もまったく退屈しなかった。ここにはぜひ皆に行ってもらいたい。日本とは違う石の文化というとてもいい雰囲気を味わう事ができるし遺跡が好きではない人もそれなりに楽しめると思う。そして、日本とあまり関係の無いように思うかもしれないアンコールワット遺跡群は実は、その修復などでかなりの援助を行っているし、何気に修復作業の横を通りすぎるかもしれないが、そこにいるカンボジア人達に技術を教えているのは日本人なのだ。そう考えるとそれらの修復に僕等の税金が使われて直されているのだ。少し誇らしいい気がした。


 壁の彫刻も仏教の中の話を彫ってある。これらの彫刻は精巧で彫られている距離もすごい。もともとは金箔が張られていたらしい。
よく見てみると笑える彫刻なんかがある。


 壁の彫刻などは昔の生活様式や、戦争の様子などを彫っているので昔の生活を知る上で貴重な資料となっている。
またガイドブックにかかれている事だけでもいいので歴史や宗教に関して読んでおくと彫刻の意味が分かって興味深いし、例えばなぜ仏の彫刻の顔の部分だけが削れているかなど分かって興味深い。見るだけなら誰でもできるが一工夫あるともっとおもしろい。


カンボジアの子供達
 朝早く自転車を借りてアンコールワットの方へ向かう、途中学校に向かっているであろう子供達が満面の笑みでハローと声をかけてくれる、目の澄んだ、元気のいいはつらつとした子供たちを見ると気分がとても良くなる、この国の子供たちは家にはもちろんテレビゲームなんて無いだろうしテレビのある家もほとんど無いと思うが貧しくも元気に生きているのが感じられる子達ばかりだ。こういう子供の笑顔を日本では見たことが無いのじゃないかという気がした。
 ただこの子供達を見るときに複雑な思いになる時がある。それは小さな子供達が妹や弟をおんぶして葉書やブレスレットを売りに来る時だ。家計が苦しく子供達も学校に行かずに働いていたりする。さらにビックリさせられるのが、6歳か7歳くらいの子供が片言の英語、スペイン語、フランス語、日本語を使って話しかけてくることだ、小さい頃、6歳でもまだ十分に幼いが兄弟の背中におんぶされてこうやって物を売るのをみて少しずつ学習していくのだ。物を買ってとお願いしながらもやっぱり遊びたい盛りの子供は、僕の持ち物に興味を示したり飴をあげたらおいしそうに食べたりする、あまり遊びすぎるとお母さんに怒られるのでちらちら様子を見ながら遊んだりする。
 もう一つカンボジアの子供達や若者に感じる事は学習しようというハングリー精神が強い事。たとえばアンコールワットの中で話し掛けてきた12歳くらいの男の子は旅行中の日本人から言葉を少しずつ習い、カタカナとひらがなを読めるようになり、簡単な会話ならできるようになっていた。教えてくれというので即席日本語勉強会を開くと、どこからとも無く青年やお坊さんがたくさん来てノートを取りながら必死に僕の日本語を真似し、こちらがやめるまで2時間でも3時間でも石の上に座って勉強を続ける。本当に感心した。
 僕の身の回りの子供もそうだが、少し違和感を感じる子供が増えている・・病的というか・・自己主張が無いというか・・・
生きる事への意欲がないというか・・。皆平等で、競争はあるがその戦いに敗れても何とも無く生きてゆけ、右に習えで人と違う行動を取る人間は非難され、個性があると言うけれど、個性をはき違え、個人の自由という言葉だけを主張し自由には責任が伴う事を理解できない・・この社会、大人、そして何よりも子供の心が貧しくなっている。そう思う。
 心の豊かさを考えさせられたカンボジア

友達と良い経験
  カンボジアは本当にふれあいが楽しかった、シェムリアプについて、バイタクの連中とばかり遊んでいると、周りの日本人が俺をカンボジア人だと思っていたと言うくらい馴染んでいたみたいだ、バイタクの連中とは最後飯をおごってあげるから晩飯食べに行こうと言われて、最後の別れを楽しんだ。
 他にも遺跡群の中に丘の上に小さな遺跡のあるプノン・バケンというところで用務員たちと仲良くなって彼等の休みの日にバイクに3人のりして遺跡の中走り回ったり、写真屋に頼んでくれて一緒に写真撮ったり、飯を食べに行って変なナマズ?を食べたり、とにかくいろんな物を買ってきては食べさせてくれた。
彼等とは毎日会って最後夕日を見た後ホテルまで送ってくれた、いい人達で勉強熱心、一日遺跡でごろごろしているけれどノートとペンだけは必ず持って勉強していた。感心する。
 アンコールワットの中のお店の一つに日本語が話せる人のお店がある、そこも家族や親戚達でやっていて、あるきっかけで毎日通って話すようになった、子供達とも仲良くなって、それを見たサラリーマンの旅行者が18歳位の女の子がかわいかったので紹介してくれ、飯を食いに行くよう誘ってくれとうるさかった、まったく。彼等とも仲良くなって、最後にはお土産の中から本をくれて、彼等の収入源と考えると消して安くは無い贈り物だった、最後に抱き合って別れを惜しんだ。彼の夢は日本語を覚えて日本語教師になる事だと・・。
 良い体験といえばシェムリアプで地元の人達とカンボジア鍋を食べて、カラオケに行った事、結局歌える曲が無くてカンボジア人達が盛り上がっていたけどいい経験だった。
 プノンペンではゲストハウスのスタッフの大学に侵入して楽しかった、授業は受けなかったけど興味深い体験だった。
 もう一つプノンペンからゲストハウスのスタッフの親戚の村で祭りがあるから行くかと誘われ、かなりの距離バイクで3台で行って飲んだり食ったりして楽しんだ、家の主人がよく来てくれたと熱烈歓迎だったので、言葉がわからなくてもバッテリー1つで起こす小さな電位の明かりでもとても楽しい思い出になった、家の主人が戦争で爆弾が爆発して尻が吹き飛んだと笑いながら話すと、周りの男も俺も俺もと傷自慢、明るくていいね?
 でも本当にこの国の人達はフレンドリーでいい人たちが多かった。楽しい思い出をありがとう!



 バイタクの連中意外と日本語はなせるやつ多いですよ、全部話し聞かれてますからね, それと、みんながいいやつとは限りませんよ、ご注意を!



 プノン・バケンの連中、いまだにそこで働いていると思うから、寝てたら日本語で用務員さんと話し掛けたらいいですよ
ちなみにプノンバケンの女神はどうして顔が欠けてるかというと、スフィンクスの鼻と同じで、ベトナム軍がカンボジアを占領した時にベトナム人が撃ったらしい。


 田舎は電気が無くても見えているのか、僕等が行くまで電気はついていなかった。



 大学侵入、よく門のところで止められなかったな・・・売店でジュースを買った。
でもカンボジアの大学生の女の子は、外国人の僕に興味があるんだけどそんなそぶり一切見せないんだよな、反応が中学生みたいで面白かった
地雷
 内戦が終結し、なんとなく平和が訪れている気がするカンボジアにはものすごい数の地雷がいまだに埋まっていて、毎年多くの子供を含めた人々が犠牲になっている。
 もともと地雷というものは人を殺す事を目的としてるのではなく死なない程度に負傷させるのが目的なのだ。地雷で負傷したという人々を見たときに大抵は膝下が無くなっている、どうしてか?なぜ殺さないのか?その理由はベトナム戦争のときもそうだったんだけど兵士を殺さないが戦う事ができない体にして治療のため本国に戻させる、すると輸送費や治療費と財政が圧迫される。そのうえそれを見た世論は批判を自国に向け始める、安いコストで作られる地雷はそうする事で何千倍、何万倍の効果をあげる。そうでなくても地雷は安く簡単に大量にそして効果的に敵の進軍を止めたり自軍のテリトリーを守る事ができる。
 カンボジアの国民のほとんどが農業に従事している、するととりあえず埋めた地雷は畑の中やあぜ道にもあるわけで被害に遭うのは農家やその子供達である。忘れてはいけないのは被害に遭う男は大抵が働き盛りの父親達である、そういうことは家族の生計を立てる事が難しくなるということなのだ。義足の技術が進歩しているが皆がその恩恵にあずかれる訳でもなく農作業などはもうできず失業状態におちいるわけなのである。
 同一民族で争い、それが終わった後でも国民を苦しめる、こんな馬鹿な事が実際に起きているのである。
怪しい香りがプンプンプノンペン
 バスでシェムリアプから首都プノンペンへ、キャピトルホテルの前にバスは止まり降ろされるが、来るまでに見たバスからの眺めにしろ、バスの周りに来たバイタクの連中にしろホテルのテーブルに座っているが西洋人にしろなんだかすべてが怪しい。なんと表現したらいいのか・・怪しい・・それが一番正確か・・。
 バイタクのバイクも観光都市シェムリアプに比べるとボロイし、ドライバーもおっさんが多い。一応首都だからもう少し整ってるかと思っていたがまったくそうでない。道は舗装道路もあるが、メインの通り以外は土がむき出しの道だ。家々も並んでいるが、異常なまでの防犯対策。セコムしてますか?という感じではなくとにかくトゲというかヤリというか、侵入しようとすれば怪我をするといった感じの家がずらっと並んでいる、塀だけではなく2階のベランダにも侵入防止のトゲがついている。一般住民がそこまで警戒するという意味は危険ということだ。
 プノンペンは一般に言われているとおり危険な所です。ただ夜歩かないとか一般的常識を守る限り大丈夫だとは思う。
 プノンペンは、なんだか混沌としていて怪しい香りがプンプンするとこなのです。
  内戦が続いていたせいでカンボジア国内には銃器が溢れている。銃声を聞いたとかいう話はよく聞いた。
 僕がプノンペンに着いた日はバレンタインデーだった、スパークというディスコでイベントがありビールが飲み放題だとホテルの人間が教えてくれて日本人3人で行ったのだった(結局飲み放題の時間は終わってたけど)、入り口でカメラ等の貴重品を預けなくてはいけなかった、受付のガードマンのところに行ってカメラを預けた。ガードマンはそのカメラを机の引出しに入れようと引出しを引いた、僕等は一瞬目を疑った、銃が20丁位入っているのだ。もしかするとその他の引出しの中にも入っているのかもしれない・・確かに一流の芸能人が来るディスコだしイベントで歌手もくると言っていたからマフィアや金持ちがたくさん来ているのかもしれないけど、日本の警察官の銃しか見た事ないからびっくりした。
 ただケンカになったらナイフでサクッじゃなくて銃でバンと頭を撃たれて終わりという事が実際起こりえるという事だ・・・
サダゲストハウス
  プノンペンにある日本人宿といえばサダゲストハウス、評判はけして良いとは言えないゲストハウスだ。ドミトリーは昔の防空壕のようで、滞在している日本人もなんだか変な人が多かった気がする。だけどそんな悪い噂たっぷりのサダゲストハウスで僕は嫌な思いもしてないし何も盗まれていない。逆にいい思い出がたくさんできた。
 サダにはシェムリアプのゲストハウスの娘さんと結婚し子どもがいる、まだ一人では歩けなかったけど今度会う時は大きくなってるだろうな。兄弟が3人とマッチョのヒロと少し危険なチャイが常駐バイタク兼スタッフとして働いている。
 一番よく話したのが兄弟のサン、日本語ぺらぺらで日本語学校に通いながら、自分も先生をしている。大学にも行っている。ここで僕は、日本語学校でボランティア教師したり、サンと大学に行ったり、サダの親戚の村の祭りに連れて行ってくれたり、アダパイというよく分からないあだ名をつけられたり(このアダパイという言葉の意味をご存知の方は教えてください、悪い意味ではないというのは分かっているのですが、お願いします)楽しい時間を過ごした。
 このゲストハウスの特徴として、銃撃ち放題やすぐにマリファナが手に入ったりハッピ-ピザならぬ物を注文できる。またビザの発給などで問題が生じた時に何かのコネを使い解決してくれるという事。
 マッチョのヒロの話を聞くと面白い、宿の2階に写真が張ってあるけど昔プノンペンにマフィアのカジノが乱立していた時ボディーガードをしていた、写真に写っている人で今生きているのは2人だけらしい。1997年のフン・センとラナリットの軍事衝突の際カジノのお金を持ってボスと逃げていて空港でマシンガンで撃たれて弾が当たったという傷跡やナイフで切られた後を見せてもらえます。
 でもある日ホテルの前でサダが研ぎ職人に大きな青竜刀を研いでもらっていた事があった、何を切る為の物?・・・・


悲しい歴史と現実
 カンボジアといえばポルポト派のやった事を忘れる事はできない、それが今も傷跡として残っているのだから・・・。
 詳しい事は自分達で調べて。1975年4月17日に5年間の内戦後ポルポトが率いるクメールルージュはプノンペンに民衆の喝采に迎えられ入る。しかしポルポトは毛沢東に強く影響を受けた人で悪名高いあの文化大革命にも影響を受けていた共産主義者だった。この人は住民を農村に強制的に移住させ、共産主義を徹底させるため高等な教育を受けた人や、裕福な人達を捕らえ家族全員殺害された。内戦が終わり自分の力を新しい国作りに役立てたいと希望をもって帰った若者も資本主義の思想に触れていると言う理由で殺された、結果として1975年からベトナム軍が侵攻するまでの間の4年間で国民の3分の1が拷問などで殺された。プノンペンもプチパリと呼ばれるくらいにフランス統治時代にきれいに区画されたが人がいなくなり荒れ果てた。 
 ある日本人の人が教えてくれた事がある、カンボジアにはお年寄りがいないんですよ、みんなポルポトに殺されちゃったので若い世代しかいない、だからこの国は若い人だけで国を作らなければいけない、だから外国の援助が必要なのですよと。そう言われて周りを見てみると本当にいない、その上、僕と同じ歳くらいの子に話を聞くと大抵、父親も母親もいないか片方だけと言う人が多かった。
 プノンペンにはトゥルースレ―ン博物館がある、ここはもともとは高校だったがポルポト政権はここを刑務所として使い多くの人が拷問のうえ殺害された場所だ。ここには色々なものが当時のまま置かれていたり、処刑前の人々を写真撮ったものを展示してあったりする。僕はここの空気の重さに呼吸ができなくなりかけた。
 処刑を待つ写真の中には明らかに子供の写真が含まれていて、本当にしんどかった。なぜ一家皆殺しなんだ・・・・
 また刑務所には廊下から外に飛び降りれないように有刺鉄線の網がつけられてあるのだが、これは脱走を防ぐためではなくて、自殺をさせないためだったそうだ。自殺もできず、拷問の末に楽になるためにありもしない罪を認め殺され。
 また処刑や拷問を行っていたのは小さな頃から洗脳をされた少年達だった、彼等は自分達の家族でさえためらいも無く殺したそうだ。 
 こんなひどい事が人間にできるのだろうかと真剣に思わせられた、いやできるのだろうかではなくて、できるから怖いんだ。だけどこれを自分の目で見て、伝える事ができるのならきつくても見た方がいいというのが僕の考えだった。多くの日本人達はこれを見て帰ってくると、きつくて途中で出てしまいましたという。単に英語が分からなかったからではないのか?
と思うような人もいる。体調が悪くなってはいけないのでムリはしないほうがいいが、ホラー映画とは違うので考えるために見れるのなら見た方がいい、そういうきつくて途中で出たという奴とかに限って次の日に銃を撃てるツアーに行き楽しそうにいやーマシンガンってすごいっすねー!今度来たらバズーカ―撃ってみようかなーなんて言っている。結局何を考えたのか?と思わせられる。ただ、ある銃を撃ちに行く人について行った人は銃声を聞いて、テレビの戦争の中継とか嘘だ、これは聞いた方がいい。という人もいる、それは理解ができる・・決めるのは個人だ。話が広がりすぎるかもしれないが
アインシュタインのThe pioneers of a warless world are the youth that refuse military service. という言葉がある。
 プノンペン中心から少し離れたところにキリングフィールドというところがある、ここは大量虐殺が行われた場所で慰霊のためか大きな塔が建っていて、その中に掘り起こされた頭蓋骨が数千個並んでいる、いまだに土の間から服の切れ端などが飛び出していて、その下にはまだたくさんの頭蓋骨が埋められたままだそうだ。
 とても興味深い事に、ベトナムの大学生もそうだけど学校でポルポト時代の歴史を習わないらしい、それについて尋ねるとその必要が無いからという答えを学生がした事があったが、実際のところは今もポルポト派に対する裁判が行われておらず、もし行うと今の政権に関係のある人々も裁きの対象になる可能性があるからだと聞いた事がある、そのためそこらへんの難しい事が絡んでくるので教えないらしい。正確かどうかわからないので、興味がある方は個人で調べてください。



 上右の写真はすべて2−6歳くらいの子供の犠牲者




この塔の裏の方にはくぼみがたくさんあり、そこにはいまだに多くの犠牲者の骨が埋まっている。

この塔の中に頭蓋骨が何千個と置かれているのだが、見世物というか、ちゃんと埋めてあげたほうがいいのでは?

そう思った。
駄目な人達いっぱい
 カンボジアにはなんと言うか・・駄目な日本人や変な日本人がたくさんいた、何を駄目かと言うのは人それぞれなので、これはあくまで僕の感じた事を書いている。
 まず、旅の楽しみ方や時間の使い方は自由なので、異論反論はあると思いますが、ここでは僕の感じたままを書きます。
 カンボジアは変な人が多かった、最初にあれっ?と思ったのは、ある安宿でシェムリアプにいるのだけどアンコールワットなどを見ずにほぼ1日椅子に座って日本の漫画を毎日読んでいる人がいた、聞いてみるともう2週間以上この繰り返しだという。まあどこでのんびりしようが、その人の勝手なのでいいですが、その人には同じように毎日を過ごす日本人の友人がいて、宿にある椅子の座る場所まで決まっていた。なんだか気持ち悪かった・・・。
 カンボジアは日本人や西洋人の少女買春が問題になっている場所だ、今は取締りが厳しくなって少なくなったみたいだが裏ではやり取りは続いていると思う。そうでなくても僕が聞いた話で驚いたのは女性を3ドルで買う事ができるという現実・・・。それも少数民族やベトナムから借金の代わりに娘を渡したりして、そんな子が働いている。聞く話ではどう見ても18歳には見えない子も多数働いているらしい。
 プノンペンには長期滞在している日本人や欧米人がいて彼等は性欲の塊なのか分からないが女性を買うためだけにプノンペンに滞在(住んでいると言うほうがいいかも)している人がいるし、俺はエイズになってここで死ぬから日本に帰らなくていいと豪語している人もいるらしい。中には僕も会った事があるが決まった女性を買いつづけそのうち付き合うようになり結婚した人もいる、そういう人は別にいいのではと思う。
 シェムリアプには孤児を引き取り教育して育てるというNGOなんかの施設があるが、本当か分からないけど、その中に日本人のおっさんがが運営する孤児院があるのだが実際は気に入った女の子ばかりを囲っているハーレムに過ぎないところもあると聞いた。
 ここまででも分かるけどとにかく、女性を目的にしているおっさんがたくさんいた。そういう女性を買いに来る男とは別に、40-60歳位のおっさんが結婚相手を真剣に探している場合もあった、男として寂しすぎる、何より情けない人に何人か会った。これは言葉が悪いかもしれないが、お金のあるおっさんと中国や韓国、ロシア、フィリピンなどの女性が結婚するというのもあるから悪いとも思わないが、僕がプノンペンで会った人達はとにかく情けなかった・・・。
 ホテルのスタッフと田舎の祭りに参加しに行く話があって、なぜかそれにおっさんが一緒に来る事になった、この人は年齢が55位で、タイに前々から好きで目をかけてあげていた子がいて、その子が大学を卒業したらプロポーズするはずだったが皮肉な事に日本で英語を教えているカナダ人の若者に先にプロポーズされ結婚してしまったと・・それで傷心旅行でカンボジアに来たと悲しく話してくれるおっさんだった。すまないが俺が女でも多分カナダ人を選んだだろう・・・いやおっさんは知らなかっただけで多分2人は前々から付き合っていたのだろう・・。
 そんなおっさんとその村に行った時歓迎してくれた家族には子供が女の子ばかりの家があってみなベッピンさんだった、年齢が近い事もあり僕の周りには子供やその女の子達が集まって、僕のつたないカンボジア語でコミュニケーションを取る、それを見ていたおっさんは君はなかなかやるね〜・・と言うではないか、何をライバル視しているのか分からないがおっさんも必死なのである・・楽しんで宿に帰った後おっさんの目つきが違う・・何を言い出すかと思うと「俺が若ければあの家の女の子全員面倒見てあげるんだけど・・・」である、勝手にしてくれ。次の日おっさんは金を払ってまで、またその村に行ったがお目当ての子がいなくて悲しげに帰ってきて部屋にこもっていた。次の日はいつのまにかいなくなっていたのです・・・・・
 最後に絶対僕が許せない男がいる。これは個人の価値観でどうこうではなくて人として最悪だと思うこと。今度会ったらボコボコにしてやろうかと思っているやつだけど、そいつは僕が会った時で25歳の若者、会社づとめをしていて休みを取ってはアジアを遊んで回っているらしい、その男の夢は世界中すべての国の女と寝る事だそうだ。夢は人それぞれだしべつに合法的にビジネスとして成り立っているのなら女性を買ったりしても、それはその人の良心の問題でありいいのではないか。ただ彼には韓国人の彼女がいて結婚してもいいかなと思っているらしい。
 彼と話したのはベトナムに入ってからだけど、会ったのはプノンペンだった、忙しそうにセカセカ動いていたから話はしなかった、セカセカ動いていたのもプノンペンにある売春婦で作られた村があるらしくてそこに行って女を買ってたらしい、どうも日本人の男は精力抜群らしい。話はまた少し戻りシェムリアプに戻る、彼はシェムリアプでも女性を物色していたらしい、彼が目をつけたのはあるお土産屋さんの所の娘だった、彼はそこの店に通い、自分は結婚相手を探しにカンボジアまで来た、日本人の女性は心が冷たいがカンボジア人の女性は心が温かくいいと思うからと嘘を並べていた、すると話の流れで店にいた18歳の女の子の話になりあの子はどうだ?という展開になったらしい。すると男は実ははじめて見たときから俺もいいなと思ってたと・・・・、彼はそれから彼女の村に行き、1週間ほど滞在して村全体でもこの日本人はこの女の子と結婚する、式はいつにするとまで話を進めたらしい・・彼の目的はただ一つその子と寝る事それだけなので目的を果たすために毎日彼女に迫ったらしい、結局結婚するからという約束に折れたのかは分からないけど、彼女は結局処女をあげたらしい。
その男は目標を達成したら心配するなまた戻ってくる、こんなに愛しているのだから・・と嘘八百並べて逃げたのである。
 日本では時々男も女もある程度の年齢に達していながら初体験をしていないと気持ちが悪いとか、おかしいとかいう言葉が出てくるけど(イメージでは西洋人の方がそういうのに緩い感じがするが、俺は日本人の方が緩い気がする)、アジアではまだ貞操というのが大切に考えられているところが多い。実際カンボジア人達に聞いたら、カンボジアの一般女性はやはり貞操を結婚初夜まで守るらしい・・・
 どうするつもりだ?彼女の人生狂ったらどうする?
 日本人はみんながみんなでは無いが女はフリーイエローキャブと言われ、男はこんな事をしたり・・・
日本語学校でボランティア
  プノンペンにも大きな日本語学校がある。そこの校長先生によれば、日本のどこかの市町村の自治会長か何かに援助をしてもらって、建てたと言っていた。先生よりサンのほうが日本語がうまくて少し微妙な感じだった・・
 2クラス教えた、といっても質問して答えたりの繰り返し、でも自分の力ではまだ話せない人とかいるのにとりあえず手を上げて話す努力をする。がんばりやが多い、がんばって勉強している人の中にはお坊さんがいて日本のお坊さんの事を聞くもんだから嘘をつかず、酒も飲むし女遊びもすると言うとものすごくビックリしていた。嘘は言えないからね
 日本に留学する予定の人とかもいて熱心に熊本の気候について聞かれた。
 最後に先生から働かないか?月400ドルで・・・・まあ確かに生活していけるかもしれないけど・・400ドルではさすがにきつい 
 日本人旅行者
 カンボジアはなんと言うか、タイからカンボジアでベトナムへとか、短期の休みを利用した大学生のバックパッカーがわんさといる。長期過ぎるバックパッカーもいれば世界一周をやってる人もいる。僕は思うのだけどシェムリアプで日本人旅行者が馬鹿呼ばわりされるのはやっぱ大学生のせい?決め付けるのは悪いが、短期旅行の大学生達はやっぱりあんまり賢くないと正直思う。いや僕もバカバックパッカーだから逆に周りから見れば僕の方がおかしいのかもしれない、だから行く国行く国でおまえは日本人ぽくないなとよく言われるのかもしれない。
 面白いなと思う点はなぜか階段のところに集団で座る、僕がいた時は20人位が階段に座ってて違和感を感じた、他の旅行者が来ても退かない。
 ここでバイタクが真顔で質問してきた事を書いてみます。
@日本人はどうして群れるのが好きなのか?
Aあんなに多くでぞろぞろと行動して面倒くさくないか(各自の予定は無いのか)?
B日本の女の子はどうしてHなのか、もしくは警戒しないのか(相当の人数に同じ質問を受けた)?
Cエイズは怖くないのか?
D騙されてカモにされているだけなのに友達友達と言う、バカか?
E日本人は騙されるやつはすぐ分かる服装で来る、学習しないのか?(狙われる事が分からないのか?)
Fどうしておまえの目はブッタ様と同じで小さいのか?見えているのか?
え〜以上がマジでよく受けた質問です。
@とAは僕の考えでは日本人の多くは英語が苦手で、どうしても日本語の通じる安心できる状態と言うと、旅先では群れることだという結論、集団で行動する事に関しては日本人は子供の頃から全体行動を叩き込まれる、現状で個性を尊重と言うが狭い範囲での間違った個性、結局はみんなで右に習えが一番楽。
BとCに関してはかなり深刻な状況にある感じ、これは実際に僕も同じ宿のかわいい子が一人で夜お菓子をどかっと買ってきてバイタクのドライバーとテーブルに広げて食べてるのを見た、その子の周りには6.7人のドライバーがいた。すると仲の良かったドライバーがこそっと、あそこにいる男2人・・あいつとあいつは危ないから、あの子に教えてあげた方がいいよと言う。僕はその場は何も言わず自分の部屋に戻る時にそっと教えてあげた、するとその子は大丈夫ですよ、いつもより注意していますからはは・・だと。 そこだと思う、日本人の女の子のいつも以上というのは、その段階で欧米人の半分くらいなんじゃないかな、確かに欧米人の女性は体つきも大きいし、ありえない重さのバックパックを持って移動するから、その段階で力負けしているけど、寝る時は下着だけとかシャワー浴びた後バスタオル一枚で出てきて僕等に背を向けた状態で着替えたりする。だけども本当に危険な行動はしない、簡単な夜出歩かない、女一人でよく分からない男数人とお菓子を夜中に食べたりしない。そこだと思う。そのうえ日本人はNOと言わないもんだから、女の子複数人で行動しても結局意味が無い。3人で一人前なら同じということ。
 実際にバイタクが教えてくれた話では、2人組の日本人がバイタクで遺跡めぐりをしてトイレに行きたいと言ってそのまま人気の無いところに連れて行かれ、襲われて日本人達はお金まで払ってくれたという事件があったと、当然その子たちは警察に届けることなく日本に帰ったと。他にもなんこも聞いたが、やっぱり日本人は押し込めばいけるというのが一般論みたいになっていると。だから、日本人の女とは簡単にやれるという話がフツーに信じられていて、おまえら日本の男がうらやましいと真剣に話された事があった。フリーイエローキャブ・・・・。ただ、やっぱり聞く話によると、バリ島で男をあさる女がいるようにシェムリでもいること、その情報は白人達から教えてもらうと・・・これに関しては、僕はなんとも言えません、日本国内の性がおかしいのも事実ですからね。ただ日本人はカモにされていると言う事をもっと認識して、行動すべきかなと・・
あと、カンボジアのエイズ感染者の数は正式な統計は出ていないけど、5人に2―3人くらいではないかと誰かが言っていたような気が・・
D それは分かりません、ただ安宿に宿泊してるけどお金はたくさん持っている人多いから、僕が宿泊していたホテルでは、毎日70ドルのお菓子をコンビニで買っているカップルとその仲間達がいました・・・・カンボジアでね70ドルって・・俺が見てもバカじゃないかと思います。いいんですよ、休みの使い方は人それぞれですから、でも他の貧乏旅行者も金があると思われたら嫌でしょ。
Eそれもわかりません、短期の旅行で着ているからBボーイ系のカッコしててもいいんじゃないですか、それにウォレットのチェーンはここに財布ありますよと言っているみたいなものだから、注意して。バイクで引ったくりされた何人もの被害者見ましたからね。でもミニスカートでレンタサイクルこぐのはやめてください。2人ほどシェムリで見ました。そこまでいくと日本万歳になってしまいます。
最後にFこれはどうしてでしょうか?うちの母も父も目が大きいのですが、なんでかね、でも僕も含め家族はみな二重ですから、もし二重じゃなかったらもっと小さかったでしょう、だから今のままで十分です。ちゃんと見えてるはずですから。
 あっちなみにね、ブッタとは何の関係もありませんから。ブッタのようだと言われた。喜ぶべきかどうなのか・・・・
下痢
 旅人は、1度は激しい腹痛と下痢に襲われた事があると思う、僕は水が体に合わないというのは無かったのだけど、一度だけ屋台でさとうきびの絞りジュースを飲ませてもらった事がある、氷入りのジュースなど極力危険は避けていたはずなんだけど、その時だけなんとなく勧められて生水使ってないから大丈夫かなと思って飲んでしまった、宿に帰ってしばらくしたら水下痢というか体験のした事の無いほどの腹痛と下痢が続いた、それが続いたせいで宿の人達から数日で痩せてしまったと心配されるようになった、完治したかなと想うと再度ぶりかえしたりの繰り返しだった、見かねたホテルの人間が現地の効く薬をくれて飲むと不思議にぴたっと止んだ、本調子ではないけど動けるようになった。やっぱり問題が起きたら現地の薬を飲まなきゃ駄目だな・・学習しました・・
3人のまこと
 ゲストハウスの客にまったく名前も漢字も同じまことが泊まっていた・・・ただそれだけなんだけど人生でこんな経験は初めてだった。うん、ただそれだけ
大好きなカンボジア
  カンボジア、この国からは学ぶ事が多くあったし、何よりも人が良かった、僕は何も嫌な目には会ってないし、いい出会いに恵まれていたと思う。
 この国の人は偉大なアンコール王朝を築き、そんな王朝を築いた人々が今度はイカレタ指導者によってぼろぼろになったりする、人々を見ているとそんな悲しい歴史を背負っているとは思えないくらい明るい、こんな人達が内戦をしていたなんて想像ができない。この国の魅力に僕はすっかりはまってしまった。必ずまた行こうカンボジア。


  Click⇒ ベトナムへ
----------------------------------------------------------------------------------------------
[TOP] [HOME] [ABOUT] [WHERE?] [TRAVEL] [PHOTOGRAPH] [MOVIE] [BBS] [MAIL]

Copyright (C) 2005-2007 MAKOTO. All Rights Reserved